人文系よ、SF系になれ!~今の日本に足りない想像力の話~
★対談者紹介★
■堀江くらは
<アレ★Club>のゲーム礼賛な文系男子。いまさら『Civilization V』にハマりはじめた。
●市川遊佐
<アレ★Club>の技術礼賛な理系男子。『Hearts of Iron 4』をやりたい。
1.おもしろく生きるには自信とリテラシーが必要
■くらは
この前、腐女子の人がした「目の前で男同士が手繋いでる!」ってツイートに「そんな男いねーよw」って嘲笑するマンガが2chまとめとかで話題になったでしょ。でも「目の前で男同士が手繋いでる」くらいのことは、実際に街をウロウロしてれば結構見かけるんだよね。
あと、それと同じような話で「マクドで見たんだけど」系のツイートは作り話だって風潮もあるけど、僕はマクドナルドで風俗嬢が突然彼氏の兄ちゃんと殴り合いを始めるのを見たことがある。
●市川
他の人が言うことを自分の常識で「そんなことあるワケないだろ」って根拠もなく否定する人、最近よく見かける気がするね。僕が思いつく話でいえば、数年前あたりに「はるかぜちゃんは実は本人じゃなくて大人が操作している説」を根強く支持してる人たちとかいたよね。本当かどうかは俺も分かんないけど、はるかぜちゃんくらいのことができる女の子なら、珍しくてもおかしなことではないと思う。でも、世の中には「そんなの絶対嘘に決まってる!」って立場の人も結構いたようだね。
■くらは
自分の常識で物事を即断するのが一番楽だからね。常識に頼れば、少なくとも不快なものを簡単に遠ざけることはできる。それにオイシイ話が嘘だってケースも多いから実利もある。もちろん、「嘘みたいだけど本当にオイシイ話」を目の前にしたときは、それをおめおめ見逃しちゃう原因になるから、おもしろい人生を送りたかったら取るべきスタンスではないよね。
●市川
常識と違う自分の考え方を根拠にして生きるのって不安になるしね。間違ってたら損するのは自分なんだから。自分の意見を持って、しかも自分の意見に自信が持てないと無理。
これは自分の体験談なんだけど、子供の頃から周りの人が読まないような本やテレビを読んだり見てたりしたからか、その当時から周りと違う意見を言うがことが多かったんだよ。そのせいで、初対面の人からは「変なヤツ。お前ってバカだろw」ってよく言われてきた。でも、しばらくすると結果的に俺の方が正しかったってことが分かってもらえて、すこしずつ周りから信用してもらえるようになった。それで自分の意見に自信が持てるようになったんだよね。
ここでもし、周りの人が読んだり見たりしないようなコンテンツに触れてこなかったら、俺は自分の意見なんて持てなかったと思う。それに、自分の方が正しいということを示せてこれなかったら、自分の意見に自信も持てなかったと思う。
■くらは
普通の人はそんな経験しないからね。普通に生きてきた人は、普通でないものを否定してれば、何も考えることなく平和に過ごせるもの。
その中でも自分にとっておかしなモノが実は正しかったって経験がない人が、おかしなモノを見たら否定する人になるんだろうね。かといって、おかしなモノについてちゃんとチェックする能力もないのに憧れちゃうとすぐ疑似科学とかにハマっちゃうでしょ、なんとか水とか。それと比べたら「自分には関係がない」というスタンスくらいの方がイイのかもしれない。
2.技術アレルギーと、道徳の正体
●市川
それと関係してくるのが、普通の市井の人だけじゃなくて、人文系の人にも強烈に染み付いている「技術アレルギー」だと思うんだよな。最近だと人工知能が話題だし、俺らが思春期だったゼロ年代前半の頃にはバイオテクノロジーとかが話題だったワケだけど、いつの時代も、多くの人はこういう技術を怖がったり嫌がったりするんだよね。
そして、大抵の人は「現状維持」の立場につく。「現状維持」自体はローリスクだから、決断としてはアリだと俺は思う。けど、なぜか新しい技術が生み出すかもしれない未来を、道徳に結び付けて頭ごなしに否定しちゃう人がいるんだよな。「不自然だからダメ、悪い」とか。納得ができない。ずっと分からないままだ。道徳に結びつける人は何を考えているんだろう?
■くらは
それも「なぜ常識からかけ離れた話を否定する人が多いんだろう?」って話だね。ちょっと彼らが何をどう考えているのか、想像してみようか。
まず、誰でも新しい技術を見ると真っ先に「得体のしれないものが現れた!」ってなるよね。ここで、普通の人は生き物がどういう仕組みで生きているのかよく知らないし、どこまでがいまの科学で分かってるかも知らず、そもそも科学がなんなのかすらよく分かっていない人も多いってことを思い出して欲しい。こういう人は、「生き物」っていう存在をどう捉えていると思う?
●市川
人によっては「神様がつくった」とか「魂が入って動かしている」って考えることで納得しているんじゃないかな。神様の存在も魂の存在もおいそれとは否定できないけど、すくなくとも神様とか魂を「分からないものを説明するための、この世を超えたモノ」として使ってる人はいると思う。
……というか、突き詰めると最終的には「とにかくそうなっている」って思うか、「何かがちゃんと動くようにしている」って思わないと納得できない仕組みになっているんだな。科学者だって最終的には「とにかくそうなっている、らしい」ってとこまでしか行けないし。まあ、科学者は科学の成果を「人が想像しただけのモノ」だって考えていて、「絶対に正しい!」とは思っていないのが特徴だと思うけど。
■くらは
そうでしょう。自分の身体とか世の中の法則とかを「とにかくそうなっているんだ!」とか「何かがちゃんと動くようにしているんだ!」って信じている人から見ると、科学者ってその辺に土足で踏み込んでくる人に見えるんじゃないかな。
●市川
「とにかくそうなっているんだ!」って信じてる人とは話し合いができないんだよね。「何かがちゃんと動くようにしているんだ!」って言葉ともあわせて、なんか子供の頃のことを思い出したよ。むかし援助交際のニュースが流れた時に感想を求められて、内心「何が悪いのか分かんないなあ」って思ってたんだけど、そう言って怒られるのも嫌だったから「親から貰った身体を汚すのはよくないよね!」って心にもないこと答えたんだよね。正直に思ってる疑問を言っても議論にならないと思ったから。そしたら褒めてもらえたよ(苦笑)
■くらは
そう、ちょうどそれ(笑)「あるモノ」をどうするか決めるのは、そのモノを作った「他人」か、あるいはそのモノを持ってる「自分」のどちらかだよね。ここで、「このモノをどうするべきか」っていうルールの決定権は「他人」にある、って考え方が道徳なんだよね。
神様か何かが決めた「とにかく、これが正しい」ということになっているルールが道徳。たとえば「人をどうして殺してはいけないのか」という質問に、「いけないから、いけないんだ!」って答えるのは道徳的な答え方だね。この答えが正しいか正しくないかに自分が関わる余地がないから。
●市川
なるほど。「人間の身体とかには、それをどう扱うべきか人間には口出しできないルール、つまり道徳があるんだ」って思っている人なら、自分が理解できないことをしている人を「ルールを破りかねない人」って認定すれば、安心して道徳で手足を縛れる。「技術アレルギー」が生まれる典型的なパターンの一つがこれなんだろうな。
ついでに言うと、僕は生命倫理とかで「尊厳」を持ち出す議論も、結局は見た目だけ哲学っぽく偽装した道徳だと思ってるんだけど、これは脱線しちゃうからそのうち別の機会で。
3.SFを読んで技術アレルギーを予防しよう!
■くらは
ところで、冒頭の方で市川くんが「自分に自信がないと常識から離れられない」って言ってたのと道徳の話が繋がってるのには、気がついてた?常識も道徳も自分以外が作った決まりに従う仕組みなんだよ。
●市川
あ、ホントだ。じゃあ自分でルールを考えて、そのルールに自信を持てれば「技術アレルギー」は解消できるのかな?
■くらは
根拠もなく自信はつかないでしょ(笑)ちゃんと自信を持てるような体力を付けさせることが先決。僕はSFを読むことで技術や人間について自分で考える自信をつけられると思うよ。
元は「どういう仕組みでどんなことが出来るのか分からないモノがあって、それをどう使うか分からない怪しい人たちがいる」って思っちゃったのが原因でしょう。だから、技術や人間について幅広く知識をつけたり考える練習をすれば、原因になっている「分からない」を大幅に削減できる。分かれば分かるだけ、道徳に頼る必要性が下がるからね。
まあ、僕が本好きだからSFを推してるっていうのもあるんだけど。でも最近、神保町の古本屋で働いている友人とそんな話をしたし。
●市川
「ジョブスやゲイツはSFが好きだけど、日本の経営者はSFを読まないから駄目だ」みたいな意見もよく聞くし、SFは確かに人が技術についてのびのびと考えられるようになるきっかけになりそうだね。
■くらは
日本の経営者に技術オンチが多いっていうのも、経営者も多くは技術が社会にどう浸透していくか想像するのに慣れていないせいかもしれない。もちろんSFだけがリテラシーを身につける唯一の手段じゃないわけで、たとえば技術史を勉強していれば「技術の世界は数年経てば別世界」ってのが当然だと分かるから無為無策ではいられないはず。でもそうなってない会社が多いってことは、SFだけじゃなく技術史とかもあんまり注目されてないんだろうなあ。
●市川
ちなみに、SFを読まないってのは理工系の人も多くはそうだね。で、彼らに自分たちがつくる技術で未来の社会がどうなるかについて語らせると、案外苦虫を噛み潰したような顔をする(笑)理由を聞くと、これまでの社会で常識だったことが揺り動かされるのが怖いだとかいう理由を結構な人が挙げるんだよ。つまり理工系の人にも「技術アレルギー」はいるのです。
……そういう学生には「いったいどういう責任感で理工系やってんだ!」と一喝するけど。科学者&技術者が社会のことを考えるべきか否かについては議論が分かれるところだと思いますが、社会のことを考えない科学者&技術者は少なくとも無責任だと詰られる覚悟くらいはすべきでしょう。
4.日本のSFはバラエティ番組みたいな話が多いからオススメしにくい
●市川
理系のふがいなさを丸投げするみたいでちょっと格好悪いけど、技術のもたらす希望も危険も人文系の人が考えることだと思うんだけどね。技術と人間との関わりが問題なんだから。でも今の人文系は「技術を抑圧する」のに終始するのが主流に見える。技術がもたらす危険しか見えていないんじゃないか。しかも僕が見た限り、その「危険」が良くないとされる理由は「これまでの社会の常識を壊すから」という道徳レベルのものが主流に見える。
ちゃんと技術のもたらす希望と危険を冷静に考えられるようにするにはどんなSFから読めばいいとかってあるかな?後輩とか周りとかにそれとなく布教していきたい。
■くらは
うーん、オススメのSFとなると、わりと日本のSFは薦めづらいものが多いと思ってるんだよね。これ言うといま日本のSFの「主流」が好きな人からボコられそうですごく怖いんだけど(笑)でも言う必要があると思うから言おう!
●市川
ホント、オタクが叩いてくるのは怖い。俺もオタクだけど。今はネットで感想を言うのもおっかなびっくりな時代だよね。そういう圧力がジャンルをしぼませるんだと思う。で、日本のSFはどのへんが薦めづらいの?
■くらは
さっき「SFは技術や人間について考える役に立つ」って言ったけど、日本のSFは技術や人間の可能性を限界まで考えぬく姿勢を途中で捨ててしまった感が否めないと思うんだよね。
人間ってさあ、どうしても異世界を考えるでしょう。どうして自分の目の前に開けている世界が「こう」なのか疑問を持つ。小さな仮定では「もし生まれがもっと金持ちだったら」とかだけど、それを大きくしていくと「もし外国に生まれていたら」とか「もし法律が今とは違うものだったら」とかになっていく。
こうして仮定をどんどんレベルアップしていった限界が、ファンタジーとかSFだと思う。タイムマシンが出てきたり、人間の理解力を超えた宇宙人がでてきたりね。もっと極限まで突き詰めていくと哲学の域に入ってくる。人間が認識できないところで世界は動いているんじゃないかとか、その人間の認識を超えたところにアクセスする技術が出来たりとか。
●市川
脳を手術したら人間のときには分からなかったことが分かるようになる、みたいな話だね。たしかに日本のSFで受けがいいモノは「仮定のレベルが小さいモノ」や「仮定が人間とか世界の原則までは踏み込んでこないモノ」がメインだと言えそうだね。例えば『日本沈没』は「既存の科学的な枠組みの中で地震を起こして社会を騒がす」モノだから前者。星新一短篇集は「謎のギミックを唐突に置いて社会を騒がす」モノが多いから基本的に後者。
確認だけど、くらはさんが言っているのはスケールのデカさとは別だよね?例えばスター・ウォーズとかみたいなスペースオペラは、フォースとかタキオンとかの不思議系ギミックがある以外は、驚くほどこの世界そのまま。「遥か銀河の彼方」とは思えないアットホーム感はむしろ海外旅行のノリに近い。
■くらは
うん。で、そうした小さい仮定と戯れていても、技術や人間について考える経験値ってイマイチ貯まらないんだよ。「スペキュレーティブ・フィクション(思弁的小説)だけがSFじゃねえ!」って声が聞こえて来そうだけど。
でも僕らは異世界について考えてしまうし、考えなくても異世界はやってくるんだから、異世界については真面目に想像し続けるべきだったと思うんだ。「事実は小説よりも奇なり」な現実がどんどん現実のものになってきてるし。そのうち太陽も滅びるわけだし。でも日本ではそういうのはウケなかったみたいだねえ。仮定が大きくなりすぎると話が分かりにくくなるんだろうね。実際、バラエティ番組的なノリで読めるものじゃなくなるから。
●市川
ナイーブな異世界願望に批判的になるためにも、異世界について考える体力をみんな鍛える必要があったとは僕も思う。現実から願望のおもむくままに遊離した結果がオウムであったわけだからね。アレは現実から遊離しすぎて、自身の体制維持すらままならなくなった組織だったと言えると思う。武力路線に突き進んで外側の社会と衝突したのも、元はといえばオウムがオウム自身の「日本を我が物にする」という幻想の自重に耐えられなかったからでしょう。組織の重力崩壊。
ちなみに仮定が大きなSF、僕は大好きですよ。特に僕は人間の五感が乗り越えられるみたいな話が好きです。五感を使った認識形式を身体を改造することで越えていく、みたいなSF。超越論哲学的SFなんて言えるかもしれない。だから理系やってるんですけど。ああそうか、日本のSFは超越論哲学になるのに失敗したんだ。それと並行して、日本の超越論哲学もSFになるのに失敗したんだろうな。
■くらは
人間の五感をいかに超えるかってのはまさに日本のSFが失敗したポイントだね。ガンダムシリーズなんか典型的だと思う。ガンダムシリーズでは人間は宇宙に進出した結果、いろいろなモノを察知・把握する能力が大幅に強化された「ニュータイプ(NT)」に変化するわけだけど、そのNTの察知・把握が人間的すぎる。「分かり合う」シーンは結局他人の経験をトレースできるだけだし、空間認識能力とかも人間の能力をそのまま強化しただけに見える。
その結果、『Zガンダム』で「NTも人間だったね」みたいな落とし所になって、『∀ガンダム』で「人間ってこんな風に死ぬよね」ってお話に終わってしまったんだと思う。ヒューマン・ドラマとしてはそれでいいと思うけど、人間の世界を認識するやり方を超えるのに失敗した感が否めない。
……まあ、人間の五感を超えるものを描くって企て自体が、パノラマ映像を使って「馬の視界を体験しよう!」とするくらい、ナンセンスなことではあるから仕方ない面もある。270度の視野を135度に圧縮しても、人間は結局135度の視野を見ているだけだ。視野が270度に伸びるわけではない。
●市川
で、その後に来たのが『機動戦士ガンダムSEED』なんだよね。SEEDは当時の世相も反映してバイオネタだったわけだけど、人間の五感を超えるかどうかみたいな認識論的な要素は後退しちゃったように思う。
……じゃあ、海外のSFを読むしかないのかな?
5.いいSFを掘り出して読もう!
■くらは
日本のSFは失敗だとか言ったけど、でももちろん全ての作品がダメなわけでもない。他のフィクションに吸収されていったSF的な要素もあるしね。
良い古典を紹介しつつ、時代に合わせて想像力を膨らませていけばいいと思う。僕はやっぱり「宇宙」に目を向けるのがいいんじゃないかと思うな。市川さんは?
●市川
僕は断然「バイオ」ですね。人外モノ大好きです。日本が中国にバイオテクノロジーで敗北しつつある背景には、まさに人々の「科学アレルギー」もあると思う。日本は早々にキツイ法規制を敷いちゃったからね。あとは「核融合」も早く実現して欲しい。難しそうだけど、これがないと人類は滅びるんじゃないかなあ。核融合が実現したら宇宙に行くのも容易になるかも。
……ともあれ、古典を数個紹介して締めようか。
■くらは
そうしよう。日本のSFよ、復活せよ!そして人文系よ、SFになれ!
市川オススメの一冊。人間の認識が生体に縛られているという点を基礎にして、ぬめぬめとしたバイオ的描写と認識の可能性についての思弁的探求とを強引に推し進めていくような作品。小松左京の最高傑作だと思う。同様の作品に短篇集『神への長い道』があるのでそれもオススメ。
市川オススメの生殖技術に関しての倫理学的な哲学書……だが、SF論も多く含んでおり、この本自体の中でもSF的な想定が多くされている。バイオテクノロジーの観点のみならず、法学的な観点も含んで野生的に思考が展開されている。著者の非常に革新的な立場も、この世界を根本から問いなおすという本ブログ記事での哲学とSFのスタンスを体現している。
- 作者: カート・ヴォネガット・ジュニア,和田誠,浅倉久志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2009/02/25
- メディア: 文庫
- 購入: 28人 クリック: 109回
- この商品を含むブログ (66件) を見る
くらはオススメの一冊。とりあえず読め。以上。
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 1 [DVD]
- 出版社/メーカー: バンダイビジュアル
- 発売日: 2002/12/21
- メディア: DVD
- クリック: 56回
- この商品を含むブログ (139件) を見る
くらはオススメのSF作品。SFアニメの中でも多くのファンを持つ名作だ。未来のことを考えたとき、「あれ、これって攻殻の世界に近づいたんじゃね?」と思うことがよくある。ゴリ……素子よりタチコマの方が可愛い。