同人サークル<アレ★Club>公式ブログ(通称:「アレ★Blog」)

ジャンル不定カルチャー誌『アレ』を作っている<アレ★Club>の日々の活動記録です。

Webマガジン開設に伴う移転のお知らせ

【皆様へのお知らせ】

こんにちは、<アレ★Club>です。

このたび、2018年7月29日にジャンル不定カルチャーWebマガジン「コレ!」を新たに開設しました。

are-club.com

以後、私たちの情報は「コレ!」の方で発信していきます。

今後も<アレ★Club>を、何卒よろしくお願いいたします。

 

2018年8月1日
アレ★Club

<アレ★Club>のチョットした自己紹介

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 皆さんはじめまして、同人サークル<アレ★Club>です。

「アレなことをやります!」を目標に、2016年の4月に立ち上げたばかりのサークルです。
とりあえず、これから同人誌『アレ』を作って、文学フリマやコミックマーケットで頒布していこうと考えています。

ところで、皆さん「アレ」って何だと思います?
「アレ」と聞いた時、人は色々なモノを想像するでしょうが、我々の「アレ」は、簡単に説明できます。

ずばり、「アレ」とは「アレ」です。

えっ、「説明になっていない」って?
まぁ、「アレ」ってのは何処まで行っても「アレ」ですし、どう考えても「アレ」は「アレ」なので、別にそれでいいんじゃないですかね。
これは別に煙に巻いているワケではなくて、「アレ」って言葉には、色々なモノを入れられると我々は思っています。

我々が考える「アレ」は、一種の器です。
日頃言えない「アレ」、人々にどうしても伝えたい「アレ」、凄い可能性を秘めたモノなのにまだ世間には知られていない「アレ」……そういったモノを包括する力が、「アレ」という言葉にはあるのではないか、そう我々は信じています。

我々<アレ★Club>は、これからそういった「アレ」を集め、皆さんにお伝えしていこうと思っています。
そして、我々が紹介するアレなコト、アレなモノ、アレなヒトが、皆さんのヒマつぶしに少しでもお役に立てば、と願っています。
ハッキリと分かっていることよりも、まだ「アレ」としか呼べないコト・モノ・ヒトの方が、色々と話せたり考えたりできて面白いですしね。

そんなワケで、これからどのような「アレ」を皆さんにお届けできるか、それなりに頑張ってみますので、どうかお楽しみくださいませ。

 

「ほら、あれだよ、あれ」がなくなる本: 物忘れしない脳の作り方

「ほら、あれだよ、あれ」がなくなる本: 物忘れしない脳の作り方

 

 

『アレ』Vol.1表紙公開のお知らせ

こんばんは、<アレ★Club>です。

皆様、大変長らくお待たせいたしました。

『アレ』Vol.1、ついに表紙公開でございます。

 

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今年の5月の時点で既に告知済みでしたが、今回、『アレ』Vol.1の表紙イラストをALISON兄貴に描いていただきました。

areclub.hatenablog.com

ウチのサークルが作る『アレ』は、「ジャンル不定カルチャー誌」がウリというかコンセプトなのですが、今回の創刊号(Vol.1)はALISON兄貴のおかげで、最高に「ジャンル不定」感が出せたと思います。

ALISON兄貴、本当にありがとうございました!

というワケで、落合陽一さんとさやわかさんのインタビュー、シノハラユウキさん・Nag.さん・羽海野渉さん・ふると(古戸圭一朗)さんの座談会、その他10本の小説・論考・エッセイ・コラムが掲載されている『アレ』Vol.1は、11月23日(水・祝)開催の第二十三回文学フリマ東京で初頒布します。

areclub.hatenablog.com

 

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本文ページ数192Pの大ボリュームですが、価格は抑えに抑えて800円に勉強させていただいていますので、興味がある方は是非当日、アレ★Club(オ-72)のスペースまで遊びにいらしてください。


以上、<アレ★Club>からのお知らせでした。

強くなければ生きてはいけない?~マッチョイズムとエンパワーメント~

★対談者紹介★
■市川遊佐(@ichikawa_yusa
<アレ★Club>の副代表。
◆永井光暁
<アレ★Club>の事務局長兼『アレ』の副編集長。

■市川
普段から僕は「力を付けて、やりたいことをやって、楽しく生きよう」って意味のことをよく書くんだけど、そうすると「それは力の無い弱者に対する暴力だ!」とか「マッチョイズムだ!」みたいな反発を割と受けるんだよね。僕が書いた文章の「力を付けよう」っていう部分が、多分だけど「弱者はいらない」や「強くならない人間はダメだ」っていう意味に読まれてるんじゃないかと思う。弱者叩きの一種と混同されてるのかもね。僕にはそんなつもりはまったくないのにさ。もちろん、鬱っぽい人とかいっぱいいっぱいな人を追い込む文章にならないようにも注意してる。
それで、今僕が言ったような事例って、割とよく見かけることなんじゃないのかと思うんだけど、永井さんはどうしてこういうことが起こるんだと思う?

◆永井
今の話って、「力を付けよう」って言葉が、「弱者の存在の否定」だと受け止められるってことがあるって話だよね。そういう風に受け止められてしまうのは、世の中には「強く生きよう」って言って他人に過酷な努力を強いる根性論が大好きな人とか、あるいは極端な場合だと「弱者は死んだ方が皆のためだ」と言っている人が多いからじゃないかな。「力を付けよう」って言葉を聞くと、「そういう人」なんだと誤解されやすいってのは、風潮的にあるかもしれないよ。

■市川
「力を付けよう」って言葉は、必ずしも「弱者の存在の否定」を意味するワケではないんだけどなぁ……実際、僕が思っているのは「弱者でも生きられる社会の方がいい」けど、その上で「力はあった方が色々とやりたいことができて楽しいよ」ってことだし。別に社会への貢献とか、そういうご立派なことでなくても「やりたいこと」ができるのは幸せなことだよ。「立派なことをやれ」って言ってるワケじゃないんだから、ここでの「力」って言葉も、仕事に役立つスキルとかより良いキャリアとかを必ずしも意味するわけではないし。なので、これは少なくとも「弱者の存在の否定」には当てはまらないと思うんだけどなぁ。
僕の言いたいことをゲームでたとえるなら、「HPが0でも教会に行けば蘇生できる」方がいいと思っていて、その上で「レベルを上げて魔王とかを倒したりするのは楽しい」って言いたいんだよ。なのに、そう言ったら「魔王を倒せないならゲームするなと言いたいのか?!」って憤慨されるワケです。

◆永井
考え方にズレがあり過ぎて、話が噛み合わないってことだね。思うに、こういう話は「力を付けよう」って考えが「弱者の扱い方」について、「マッチョイズム」と「エンパワーメント」の二種類に分けられるという感じで整理しておくと、どうしてそういう齟齬が生じるのかが分かるようになるんじゃないかな。個人的には、今挙げた二つが世の中では往々にして混同されがちなんじゃないのかって考えてる。
人によって用語の定義って多少ズレるけど、ここでのマッチョイズムは「弱者は切り捨てよう」って思想で、エンパワーメントは「弱者に力が付くようにしよう」って思想ね。まぁ、「弱者って何よ?」って問題はあるけど、とりあえずここでは「なんらかの状況を前にして力不足で困っている人」ってことにしておこう。
で、今からこの二つの考え方について考えていきたいんだけど、市川君はエンパワーメント派だよね。僕もエンパワーメントの方が好きだな。

■市川
つまり永井さんの言いたいのは、自由放任的に弱肉強食で強い人たちだけでやっていこうっていう意味でのマッチョイズムと、訓練とか技術とかを使って皆で強くなっていこうっていう意味でのエンパワーメントの区別だよね。それだったら、僕は断然エンパワーメント派だな。だけど、実際はよくマッチョイズム派だと誤解されるんだよね、何故かな?

◆永井
それは、市川君がそういう誤解をする人との「共感ベースでのコミュニケーション」に失敗しているからかもしれない。たとえば、チョットでも「力を付けよう」って聞いただけで誤解して怒ってしまう人が、どうしてそうなるのか、怒る人の立場に立って考えてみようか。そういう人は、もしかすると「もうマッチョイズムに遭遇したくない!」って思っているかもしれない。過去にマッチョな人たちから散々バカにされて、イヤな思いをしてきたかもしれない。だから、「これはマッチョイズムかも?」って思った時点で、警戒して心を閉ざしてしまうか、あるいは猛烈に反抗するようになる……そう考えると、市川君が、君をマッチョイズム派だと思っている人と上手く付き合えない理由が、なんとなく分かるんじゃない?

■市川
なるほどね、それはあるかもしれない。ということは、「これはマッチョイズムかも?」という疑惑を持たれないように、気を付けて話を組み立てないといけないワケだね。

◆永井
そういうことだね。とにかく、相手を不安にさせてはいけない。なので、実際に話をする時には、「力を付けよう」って明示的に言うのは回避して、「気が付いたらエンパワーメントされて楽しくなっている」くらいにした方がいいのかもね。力の雰囲気を感じた瞬間、そこからマッチョイズムを連想するレベルにまで、マッチョイズムにトラウマを持っている人もいるだろうからね。

■市川
今の永井さんの話を聞いた上で、自分の普段の言動について振り返ると、僕の場合は「力を付けよう」って言っていない時でも、誤解がないように気を付けて言葉の定義とか論理展開とかを厳しめにしているので、逆に雰囲気から「コイツはマッチョな世界で生きてそう」って疑念を持たれているケースが多い気がする。また地獄のミサワっぽくなっちゃったけど、これは実際そうだと思う。

areclub.hatenablog.com

 

◆永井
市川君の場合はそうだね。普段見ている限りでは、そういうケースが多そうに見える。まぁ、早い話が雰囲気の作り方の問題だね。で、とりあえず納得はできたのかな?

■市川
うーん……いや、そういうマッチョイズムとの混同以外にも、怒られる場合ってあると思う。さっき永井さんは「力の雰囲気からマッチョイズムを連想してしまう人」の話をしたけれど、もっと根本的に力そのものを嫌っている人もいるんじゃないだろうか。具体的には、そもそも強くなろうとすること自体に抵抗を感じている人。「弱者は弱者のままでも生きていていいんだ」を通り越して、「弱者は強者になることなく、弱者のまま救われるべきだ」みたいな考え方を持っている人。つまり、「弱者であっても存在が肯定される世界」から飛躍して「弱者のまま自己実現が可能となる世界」が正しいと思う人、成長とかの変化すらも自己否定と捉えてしまう人のことね。こういう人こそ、強烈に「力を付けよう」っていう言葉に対して反発しているんじゃないかな。

◆永井
確かにそういう人はいるね。「弱者マウント」みたいな言葉があるのかは分からないけど、「自分は弱者だけど弱者のまま幸せでいたい」と言いつつ「でも強者はムカつくので彼ら彼女らには強者ゆえの制限を課すべきだ」って考え方の人ね。そういう人は、エンパワーメントとマッチョイズムの区別とか関係なく、力そのものを嫌がるだろうね。

plaza.rakuten.co.jp

 

■市川
まぁ、かくいう僕も10代の頃はそういう若者だったから、成長することが今の自分の否定に思えるっていう気持ちは分からなくもないんだけどね。でも、結局僕は年齢を重ねるに連れて「やりたいことがある」とか「やらずに死ねないことがある」っていう気持ちの方が日に日に強くなって、それで色々と足掻いてみるようになったんだけどさ。

◆永井
市川君のそれも「変化」ないしは「成長」だから、それを「しろ」と言われることを嫌がる人は嫌がるだろうね。ともあれ、変化したくない人は、何かのはずみで自分から「変化したい」という気持ちになるか、気が付いたらいつの間にか変化しちゃってるか、そうでもしないと何も変わらないだろうね。まぁ、ここも「力を意識させずに力を付けさせる」という点で言えば、さっきと解決策は同じだね。要するに、共感ベースで相手に新しいモノや新しい行動パターンを染み込ませるってこと。

■市川
そうだね、そうするしか、上手く相手を変えることはできないと思う。

◆永井
今度こそ腑に落ちたかな?

■市川
……いや、まだ何か違うなぁ。やっぱり、僕は皆に「力」をポジティブに捉えてほしいんだよね。だって、何かやりたいことがあったとして、でも今は力不足でやれない自分がいたら、「力を付けたい」って思うのが素直な反応じゃん?力を嫌っている状態だと、素直に力を付けようと努力しにくくなるし、現実問題、物事を達成するためのハードルはそう簡単には下がってくれない。そうしたら、できることはいつまでたっても増えないから、結局は生きにくいんじゃないかな。無論、弱者のままでも自己実現可能なケースもあるだろうけど、それだと基本的に人生ハードモードになりそう。

◆永井
確かに、素直になった方が生きやすいよね。斜に構えてもロクなことにならないし、「自分は弱者だ」って言い続けても、それで救われるとは限らないし。ただまぁ、ポジティブに考えること自体を「強者の発想」と捉える人もいるだろうから、ここら辺の言葉選びって、本当に難しいなって思う。
話を戻すけど、今の世の中って、素直になりにくい環境になっているんじゃないかな。素直に気持ちを表明するだけで、頭が悪そうと思われそうだし。それに、言葉選びの点で言えば、最近はアメリカに限らず日本でもポリティカル・コレクトネスに過敏になってるから、素直に思ったことを言ったら言葉狩りに遭う危険性が高いしね。で、そういう周りの視線とか自意識とかのせいで、素直に「力を付けよう」って言いにくくなって、疲弊して次第に力をポジティブに捉えることもできなくなっていくケースってのは、今後増えそうな気がするね。

jbpress.ismedia.jp

 

■市川
それは感じるね、「出る杭は打たれる」みたいな。気持ちを表明するだけで「出る杭」になっちゃうって、相当ヤバいと思うけどね。でも、力を付けたいってことについて語りやすくなれば、頑張っている人たち同士でノウハウとかも共有しやすくなって、いい循環ができると思う。最近だと、ネットで調べれば一通りのノウハウを知ることはできるけど、それでも身近に一緒に頑張れる人がいるってのは、心強いことだし、重要だと思う。

◆永井
力を嫌っている人たちに力をポジティブに捉えられるようになってもらうためには、共感ベースで力を付けてもらってから、それまでの自分を省みてもらって、「力を付けるのは楽しいことなんだ」っていう気持ちになってもらうのが効果的だろうね。沢山成功体験を積み重ねてもらって、反復して「楽しい」って気持ちを味わってもらうと、いい感じになるんじゃないかな。

■市川
とはいえ、あまり暑苦しくならないことが大事だね。その上で、素直にエンパワーメントし合える世の中になるといいなと僕は思う。これは別に「市民、幸福は義務です」みたいな話じゃなくてさ。それだと、結局は素直になれないしね。

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▲『アレ』編集長の堀江くらは
この記事で気を付けないといけないのは、「頑張っているけどまだ成長できていない人」や「頑張っているけどなかなか変化できない」人に対して「頑張れ」と言っちゃうとケンカになってしまう、ということです。その人がいっぱいいっぱいなのに「努力しろ」と言うのは、半ば暴力的かもしれません。
また、「成長しようよ!」という言葉に対して、「どう成長すればいいの?」と疑問を持つ人もいるでしょう。そういう人は、自分の目標が定まっていないわけですから、目標を見つけることが、成長につながります。そういう人の手助けができたらいいですね。

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▼<アレ★Club>代表の山下泰春
幸福は義務です!(ガンギマリ)

www.youtube.com

 

ニーチェ全集〈12〉権力への意志 上 (ちくま学芸文庫)

ニーチェ全集〈12〉権力への意志 上 (ちくま学芸文庫)

 

  

ニーチェ全集〈13〉権力への意志 下 (ちくま学芸文庫)

ニーチェ全集〈13〉権力への意志 下 (ちくま学芸文庫)

 

 

【『アレ』Vol.1に掲載します】さやわかさんにお話を伺ってきました!

Webの発達は、「物書き」の敷居を格段に下げました。クラウドソーシングを利用さえすれば、誰でも簡単に文章で報酬を貰うことができますし、多くのキュレーションサイトが、今も新しい人材を求めています。また、今はブログで誰でも世の中に文章を投稿することもでき、それで生計を立てている方も少なからず存在しています。

しかし、そんな時代だからこそ、「職業ライター」になるのが難しくなったと言われている現状があります。そこで我々<アレ★Club>は、新人ライターの抱える疑問や悩みを、現在ご活躍されているライターさんに直接ぶつけてみようと試みました。

去る9月7日(水)、今年5月にWeb編集社を退職し、フリーの編集者・ライターとなった<アレ★Club>の堀江くらは(@kuraharu)は、職業ライターを目指し今月上京予定の古戸圭一朗(@kei_furuto)氏と一緒に、ライターのさやわか(@someru)氏にお話を伺いに行きました。

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さやわか氏は、90年代末から「ムーノーローカル」や「ニーツオルグ」などの個性的なWebサイトを運営し、『ユリイカ』2007年1月号(特集:松本大洋)に「寓話とアニメーションの間で―映画 『鉄コン筋クリート』 はなぜ分かりやすいのか」が掲載されたのを契機に、批評・評論も行うライターとしてご活躍されています。著書には『僕たちのゲーム史』(星海社,2012)、『キャラの思考法:現代文化論のアップグレード』(青土社,2015)などがあり、今月22日には、新刊『文学の読み方』(講談社)が刊行予定です。また、現在は執筆業以外にも、ゲンロンカフェで行なわれるイベントなどにもご登壇されています。

文学の読み方 (星海社新書)

文学の読み方 (星海社新書)

 

 

僕たちのゲーム史 (星海社新書)

僕たちのゲーム史 (星海社新書)

 

 

今回はそんなさやわか氏に、どうすれば「食えるライター」になれるのかという点を中心に、現代メディアの問題点や、今後のメディア像など、様々なお話を伺ってきました。

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今回のインタビュー内容ですが、11月23日(水・祝)に開催予定の第二十三回文学フリマ東京で頒布予定の『アレ』Vol.1に掲載します。これからライターを目指す人、今ライターとして活動している人は勿論、「物を書く」という行為に挑んでいる全ての人に読んでいただきたい内容になっていますので、よろしくお願いします。以下、インタビューの堀江と古戸氏の感想です。
 

■古戸
インタビューに慣れていない私に対し、快く取材を引き受けていただいたばかりか、リードまでしてくださったさやわかさん、本当にありがとうございました。ずっと緊張しっぱなしで、取材前の打ち合わせで、くらはさんに2回もコーヒーをぶっかけてしまいすいませんでした!!

■くらは
ズボンがお亡くなりになったまま取材をしました。いつもと違う雰囲気の取材で、緊張して終始変なテンションだった気がします……それでも、さやわかさんのお陰で、「さやわか流」ライターとしての在り方を学ぶことができました。本当に、ありがとうございました。