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同人サークル<アレ★Club>公式ブログ(通称:「アレ★Blog」)

ジャンル不定カルチャー誌『アレ』を作っている<アレ★Club>の日々の活動記録です。

『シン・ゴジラ』から感じたリアリティ(感想・雑感・ネタバレあり)

halyuki 対談 山下泰春

※ネタバレ注意!

★対談者紹介★
▲山下泰春(@yasuharu_are)
<アレ★Club>代表。庵野作品も特撮もほとんど見たことないマン。

△halyuki
『アレ』Vol.1に執筆予定の人。世代直撃だけど庵野作品にも特撮にも関心は薄い。

 

『シン・ゴジラ』のリアリティ

▲山下
先日、『シン・ゴジラ』を観てきました。「現実(日本)VS虚構(ゴジラ)」というキャッチコピーがありましたが、観た限り結構当たってるような気がします。というのも、「ゴジラという怪物=虚構が日本を襲ったらどうなるか」というシミュレーションとしては、かなり的確だったのではないでしょうか。この映画の大半は人間関係、特に国家(政府)の実務レベルでの動きにスポットが当てられていて、実際にゴジラが出てきて街をメチャクチャにする場面はそんなに多くない。最初にゴジラが出てきたシーンが特に印象的で、未知の事象に対してお役所は何も解決できない。
より具体的に言えば、想定外の事態に対する初動が、この国では非常にお粗末であるということを明確に表していました。防衛出動に関する法解釈のやり取りとか、何度も開かれる「巨大不明生物(ゴジラ)に対するナントカ会議」の数の多さやその様子は、目を覆いたくなるほど日本の現実を表していたと思います。

 

△halyuki
確かに、政治家たちが後手後手に周って右往左往しているのは非常に現実的で良かったですよね。担当省庁が決まってなくて、「今からあの巨大不明生物の捕獲・駆除・排除の各パターンでの予測をまとめてこい」という命令に対して、ある人物が「え?どの役所(省庁)に言ってます?」って聞くところとか。ただ、会議シーンの演技の大部分はあまり好きじゃなかったです。誰も噛まない、間を置かない早口が現実的に見えなくて……でもそれは、実際の官僚が早口だから早口で演技させたらしいですね。

 

www.cinematoday.jp

 

▲山下
私は演技は気にならなかったですね。モゴモゴ言ってて何を言っているのか分からない人がいたりとか、その辺は結構リアルだったんじゃないですか。

 

△halyuki
そっかぁ。私は逆にその辺が気になってました。まぁ、そのうちに、街で暴れまくるゴジラの様子と常時変動する情報のために、巨災対(巨大不明生物災害対策本部)が翻弄されまくってて、演技はどうでもよくなってったんですけどね。混乱する日本政府とゴジラの進化で、話がどう転がるのか分からなくなって、凄くドキドキしました。
それに、ゴジラが最初の方でもメチャクチャ強いのに、どんどん進化していって「これ、どこまで強くなっちゃうの?」って怖くなったし、第四形態で飛行機が撃墜された後はもう絶望しかなかった。他にも色々と絶望を感じるシーンがあって本当に怖かった。でも、「怖くなかった」って人もいるんですよね。なんでだろ?

 

『シン・ゴジラ』は「怖くない」?

▲山下
私は第一形態、第二形態が「不気味だな」と思いました。「ゴジラってこんな姿だっけ?」と思って。でも、第三形態から「よく知ってるゴジラ」が出てきたので、むしろ安心しましたね。だからhalyukiさんが言うような絶望感を感じなかった。「怖くなかった」って言っている人は、「よく知ってるゴジラ」が出てきたからそう思ったのかもしれない。

 

△halyuki
最初は「ゴジラなのになんか変なの出てきたな……嚙ませ犬かな、ひょっとしたらゴジラの餌かな」と思ってたのに、第三形態になった時に「なんだお前がゴジラかよ!」って思って安心したのは分かります。でも、ゴジラが進化する生物だってことが確定したのはこの時で、作品の尺的に(野暮な見方だけど)考えたら、「これからまだ1~2段階進化するってこと?こんな強いのが進化しちゃうの!?」って。
あと、『シン・ゴジラ』の場合は「国VSゴジラ」なので、感情移入できる役が無くて、それが他人事を眺めてる感じに繋がって恐怖を感じにくい要因になってるのかもしれない。

 

▲山下
「当事者にならない限り、災害はどこまでいっても結局は他人事」っていう感覚ですかね。まぁ、話の途中からは巨災対の話にスポットが当たっていたので、halyukiさんの見解で正しいと思います。
でも、感情移入できる役、つまり市民の話はむしろ不要だと思いました。国の実務レベルでの動きを追うのなら、別にそこは大事じゃないと思ったし、無理に映す必要もない(避難・疎開する国民や、主人公格の矢口がゴジラが襲った現場で手を合わせるシーンとかはありましたが)だろうと。あくまでもこの作品は「災害に直面した時の日本政府の対応」の話だから、民間人の話とかはむしろ不必要じゃないかな。
というか、無力な市民の視点から感情移入できる話にしようとすると、どうしても「(ゴジラは)僕たちの敵なんだろうか、それとも味方なんだろうか」みたいな見方に話が引き寄せられてしまうんじゃないかな。でも、それはウルトラマンとかガメラとかでやるべきことであって、ゴジラに期待するものはチョット違うように思います。

 

△halyuki
ゴジラの恐怖感って、(未見ですが)1954年の初代『ゴジラ』にはあったんでしょうけど、今の時代だとゴジラはあまりに知れ渡り過ぎたと思うんですよね。だから、劇中のセリフで「戦後は続くよどこまでも」というものがあったけど、2016年になってもゴジラを描き続けてることが、そもそもゴジラの呪縛みたいなものから抜け出せてないことを示唆してると思います。
あと、放射能についての研究成果も知識の広まりも、昔と全然違う中で、この現代でゴジラの怖さを描くのは、結構難しいでしょうね。放射能汚染による病気の怖さとかは、映画で描くには少しテンポが遅過ぎるでしょうし。今は何でも知識が広まるのが早くて、ネットで調べちゃえば済んでしまって、「どうやっても分からない(とりあえずの答えすら見つからない)」ということは少なくなってきたように感じます。「分からない」というのは「怖い」ことに繋がるので、分からないことが少なくなると、自然に怖いことも少なくなるんじゃないかな。『シン・ゴジラ』でも、腰を据えてちゃんと観たり、考察サイトを見てしまえばある程度は謎が解けちゃうワケで、何度見ても怖いということにはなりにくいかも……。

 

▲山下
それも現代病っていう感じはしますよね。現代人にとって「本当に謎が解けたか」は重要じゃなくて、「とりあえずこの解釈で意味が通ると思える」ことの方が大事なんじゃないかな。『となりのトトロ』のサツキとメイの死亡説とかみたいに、都市伝説みたいな形で「怖さ」は残っていくのかもしれない。
まぁでも、既存の考察にあるような「第一形態のゴジラの鳴き声は初代ゴジラと同じ」とか、「このBGMは庵野のあの作品のものだ」とか、皆、考察というか元ネタ探しは好きですよね。私は庵野作品もゴジラシリーズもよく知らないので、鑑賞中は分かりませんでしたが。

 

△halyuki
鳴き声がどうとか聞いても私としては「へぇー」という感じなんですけど、元ネタを知ってると嬉しいものですよね。ただ、BGMはモノラル音源と普通のとで音がバラけてたし、現代を描いた映画にモノラル音源は古臭すぎて合ってないように思いました。

 

▲山下
あぁ、確かに。そこについては、「無理にリスペクトすればいいってもんじゃねーぞ!」とは思いましたね(笑)

 

△halyuki
下の記事では

オリジナル性を保ったまま自然なステレオ音源を得るため、気の遠くなるような作業に取り組んだ。しかし、最終的には庵野総監督の判断で、伊福部楽曲はオリジナルのモノラル音源のまま採用されることになった。

とのことなので、統一を検討してはいたみたいですが、「監督の判断で」ということは、現場がモノラル音源とステレオ音源のどっちも使う方が正しいと考えた結果なんでしょうね。どうせなら全部モノラル音源に統一してくれても……とも思ったけど、それだと4DXなどで観る人が怒る結果になっちゃう……かも。

 

www.cinematoday.jp

 

ゴジラと「共存」するとはどういうことか

▲山下
他に印象的だったのは、登場人物の「日本観」みたいなものですね。さっき触れた「戦後は続くよどこまでも」というセリフもそうですけど、「日本はスクラップ・アンド・ビルドで成長してきた。だから今度も立ち直れるさ」みたいなセリフとか、「この国で好きを通すのは難しい」みたいなセリフとか、妙に説教臭く聞こえましたね。

 

△halyuki
まぁ、ゴジラシリーズ自体が特撮なので……暑苦しい台詞が入るのは仕方ないですよ。「米国の傀儡」とか「かの国は……」とか、日米関係への皮肉もありましたね。ただ、こういう後半で描かれる政府の闘いを「リアル」とか「現実」って言われちゃうと、チョット「うーん……」と。現実の役人や政治家って、こんなカッコイイわけないと思うけどなぁ……と。絶対「あーでもない、こーでもない」と言ってる間に日本壊滅して、政治的駆け引きも何もなく国連案件になってると思うんですよね。いや、だからこそ、エンタメとして熱くて面白かったんですけど。

 

▲山下
まぁ、今の日本の政治体制だと間違いなく壊滅しそうですね……。『シン・ゴジラ』では劇中で「このままゴジラを放っておくと人類は破滅する」みたいなことが言われていましたが、逆に「ゴジラは人類よりも進化した存在なんだ」みたいなことも言われているんですよね。なんていうか、ゴジラが畏敬の対象として眼差されているっていうのは両義的ですよね。ゴジラは災害をもたらすだけじゃなくて、未来へ向かうための鍵でもある、って感じで。

 

△halyuki
なんか、そんなことを劇中の米国側の人が言ってたような。だからこそ安易に核をぶっ放さずに凝固剤で凍結し、「共存」の可能性を探れる道を残したのが良いですよね。

 

▲山下
そういう意味では、最後のシーンは胸熱ですよね。凝固剤で固めるシーンで思い出したんですけど、ゴジラを凍結させる作戦(=「ヤシオリ作戦」)で、意図的にビルを壊してゴジラを追い詰めてるシーンがあるんですが、それがとても印象的です。作品の前半では、「街を壊すのはどうなんだ」っていう意見が大半だったんだけど、後半になってくると、意図的に街を破壊していくんですよね。
聞いた話なんですが、いわく「戦前の日本では建物を意図的に破壊することはしてこなかった」んじゃないかって意見があるんですよ。日本家屋は基本木造だし、しょっちゅう地震とか台風とか火事とかが来るしで、街は定期的に勝手に壊れていく。逆に、欧米だと「建物は人が造ったり壊したりするもの」だった。街が壊れるとするならば、それは王様か何かの計画か、さもなくば戦争のせいだというワケです。

 

△halyuki
確かに、日本だと自分たちで建造物を破壊することは多くないですもんね。一口に「戦争」と言っても、街が無くなるような戦いは江戸時代以降だと太平洋戦争までなかったワケですし。太平洋戦争で街が無くなるのって、空から焼夷弾が降ってきて無くなるワケだから、これも「人が街を壊す」感じは薄かったんじゃないかという気がします。敵軍兵士が「ヒャッハー!殲滅だァー!!」って火を付けて回るようなのと比べたら。

 

▲山下
そう。でも、『シン・ゴジラ』の最後のシーンは、在来線とか新幹線を爆弾として使ってたり、ビルを意図的に爆破して、ゴジラに立ち向かっている。そうして、やっとのことで凍結させたゴジラと共存していくっていうのは、こういう「意図的な破壊」を受け入れていくことを意味しているんじゃないでしょうか。

 

△halyuki
在来線爆弾やゴジラ周辺の建物を使った攻撃は凄く面白かった。実際、今の日本人が、無人とはいえ何かのために「意図的な破壊」を行うのはかなり難しいと思うんですが、戦後のシステムが古びて時代に追いつけなくなってきたこれからの日本には、その覚悟も必要なのかもしれませんね。

 

シン・ゴジラ音楽集

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ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ

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 ネットだと「シン・ゴジラはエヴァの前日譚だ!」という声をよく聞きますね。(by堀江くらは)