同人サークル<アレ★Club>公式ブログ(通称:「アレ★Blog」)

ジャンル不定カルチャー誌『アレ』を作っている<アレ★Club>の日々の活動記録です。

『アレ』と公共性~目指すべき健全な公共性とは?~

こんばんは、ブログでは初登場な<アレ★Club>事務局長の永井光暁(ナガイミツアキ)です。今回は、<アレ★Club>のメンバーみく君の「『アレ』のコンセプトって何なのか分からないから改めて説明してほしい」というご要望にお応えして、彼と市川遊佐君の三人で『アレ』のコンセプトについて考えてみました。その結果、『アレ』の目指すべきモノ・公共性との関わり方が明確になりました。

 

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○みく
俺さー、勢いで<アレ★Club>に入ったけど、まだ『アレ』のコンセプトってよく分かんないのよ。永井君とか「一匙の公共性」って言ってるけど、チョット抽象的過ぎて分かんない。同人誌ってたくさんあると思うけど、結局『アレ』はどういう立ち位置でやっていくの?

 

◆永井
うーん、確かにちゃんとした言語化はできてなかったかなぁ。俺は『アレ』について、それぞれのフィールドで頑張っている人たちが、そこにある問題について考えることを通じて、現場での生き方みたいなのを提示する場所だと思っているのよ。で、それを「一匙の公共性」と言っている。オタク語りをして身内で固まるのは楽しいかもしれないけど、もう少し人のためになるようなことが書けるんじゃないかと思うし、俺の周りではそういうのを書きたいとか読みたいとかいう声が少なからずある。

 

○みく
でも、社会問題とかについて考える同人誌とかは割とあるじゃん?ああいうのとは何が違うの?

 

◆永井
それは確かにあるね。ただ、これは俺の主観なんだけど、社会問題について考える同人誌って、チョット行き過ぎなモノが多いと考えてる。一昔前の「生きさせろ!」みたいなノリで社会問題について語っている感がある。それって、見ようによっちゃ左翼のノリに見えるし、下手すれば「運動」に回収されちゃうんじゃないのかって危惧もある。そうすると、逆に多くの人の手には届かなくなるんじゃないだろうかとか……。

 

●市川
つまり完全に意識を低くしてウェイウェイするわけでもなく、ガンギマって先鋭化した思想の下に固まるのでもなく、オタク語りでハイコンテクストなコンテンツ消費に耽るのでもない。「一匙の公共性」ってのは、そういう健全な公共性のことかな。

 

◆永井
そうそう。多分だけど、公共性って目指し過ぎたらいけないんじゃないかと思う。人にはそれぞれ想像できたり考えたりできる身の丈ってものがあって、そこを越えようとし過ぎると、過激な思想とかに傾斜してしまう危険性が出てくるんじゃないだろうか。

 

○みく
最近のバズる言葉とかって確かに、目立てばいいっていう考えなのかは分からないけど、どんどん過激になってきていて、そういう言葉ってなかなか拾いにくくなってるよね。まあ確かにゆるふわな言葉は広く受け入れられてるんだけど、あれはあれで意識低い路線だし……。

 

◆永井
確かにね。で、そういうのって、どちらにせよ両極端だと思うのよ。極に振れるってのはラクなのかもしれないけど、人間ってそれでは生きていけない。何処かで必ず実生活との齟齬が生じるはずだし、コンフリクトがデカくなればなるほど、人は生きづらくなると思う。で、これをさっきの「一匙の公共性」の話と繋げると、『アレ』で提示する公共性ってのは、やっぱり色んなフィールドにいる人たちのそれぞれの「生き方」を通して「他の生き方」を垣間見る機会の提供なのよ。つまり、「あなたがちゃんと身の丈に合った生き方をすることで、公共性は支えられるんですよ」って伝えたい。

 

○みく
つまり、「真っ当に生きろ」ってことか。いいんじゃない?

 

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