同人サークル<アレ★Club>公式ブログ(通称:「アレ★Blog」)

ジャンル不定カルチャー誌『アレ』を作っている<アレ★Club>の日々の活動記録です。

屁理屈談義(2)人の理解に「出自」は関係あるか?

こんばんは、<アレ★Club>代表の山下泰春です。前回、<アレ★Club>副代表の市川遊佐さんと、屁理屈と理屈の違いについて考えた記事をアップしました。

areclub.hatenablog.com

すると、早速以下のコメントをいただいたので、また市川さんと屁理屈について考えてみました。

--------------------------------

 
▲山下
前回のブログ記事に関して、Twitterで上のようなコメントをいただきました。僕としては「それはそれで分かるんだけど、その場でその本人が、国籍透視ができることをなぜ主張するかを考えた方がいいんじゃないか」って思うなあ。というのも、話は基本的に人を説得するためにあるんだから。対話環境のデザインとかの話の方が本質的な「背景」な気がする。

 
●市川
それは面白い着眼点だよね。「ヤバいネトウヨ」って問題を、ウェブサービスのデザイン、チョット古い言葉で言えばアーキテクチャの問題なんじゃないのっていう読み替え方をするわけだ。でも俺は「そもそもこれは批判的(?)なコメントなのかな?」って思った。むしろ俺はあのコメントに対して「はい、そういうことを我々は言いとうございました」と思ったので、アレは特に批判でもなんでもないような気もするんだよね。我々はあの記事で「論理/論理でない」という対立を納得感情の「共感できる/共感できない」という対立に切り下げたワケなので。ヒューム的切り下げを行った後では感性を系譜学的に把握して、その上で共存の方法を模索するか否かみたいな話になるんじゃないの?そうなると理論的な議論の組み立てでガンバル、というのはもう不可能でしょう。

 
▲山下
感性を系譜学的に把握するっていうのを、理論の側に戻して実行するのは不可能でしょうね。たとえ網羅的な情報の羅列であっても、出自とか育ちを見て、ある人物が理論的=必然的に構成されて、現在の国籍透視の発言に繋がっているのだ、なんて僕は口が裂けても言えない。例えば「永山則夫の殺人は仕方がなかったことかもしれないけど、絶対的にそうなるのだ」って言うと、タダの運命論者みたいになりますしね。

 
●市川
理論の側に戻す、別の言い方をすると、歴史を可能な限り「必然の相の下に」見ると、今度は「経歴透視」的になっちゃうわけです。(笑)ネット上の煽り合いなんてのは基本そんなんばっかり。

 
▲山下
「ヤツはきっと韓国人に親を殺されたんだよ!」的な。

 
●市川
左右のバランスを取るために逆方向にアレな例も挙げると、「彼もまた資本主義の被害者なんだ!」とかいう物言いもチョット近いのかもしれない。ああでも、韓国人に云々ほどのパンチ力は出ないなあ。結局偶有性をどう扱うかっていう話なのかもしれない。国籍透視がヤバイのは偶有的な国籍という問題を「必然の相の下に」論じるところにあるワケですし。

 
▲山下
まあ結局は同じことをやってるだけなんだけど。(笑)

 
●市川
ああでも、こうやって予想外のコメントがもらえるのは「はてブロ」ならではって感じですね。この調子で色々とコメントがもらえると面白そう。俺は実は、むしろカント主義者的な人からの哲学的なツッコミの方を恐れていたんですよ。「納得感情」とは言ってもそれは認知を規定するような「枠組み的な感情」なんで、「感情」という物言いで他の感情全般と似たような扱い方をすることには正直気が引けたので……。

 
▲山下
でもブログ記事としての勢いを損ないたくなかったから、結局「納得感情」という言葉で押し切った、って感じかな。まあでも、純粋哲学的な話は小難しくなるのでまたおいおい……。

 

19歳の連続射殺魔 永山則夫事件と60年代 (文庫ぎんが堂)

19歳の連続射殺魔 永山則夫事件と60年代 (文庫ぎんが堂)

 

 

ネット右翼の終わり──ヘイトスピーチはなぜ無くならないのか

ネット右翼の終わり──ヘイトスピーチはなぜ無くならないのか