同人サークル<アレ★Club>公式ブログ(通称:「アレ★Blog」)

ジャンル不定カルチャー誌『アレ』を作っている<アレ★Club>の日々の活動記録です。

屁理屈談義(1)「屁理屈」とは何か屁理屈屋二人が考えてみた

どうも、理屈と屁理屈の違いがよく分からない<アレ★Club>代表の山下泰春(ヤマシタヤスハル)です。
今回は、同じ「屁理屈屋」という負の称号を背負っている<アレ★Club>副代表の市川遊佐(イチカワユサ)さんと、理屈と屁理屈の違いについて考えてみました。

 

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●市川
俺、屁理屈って何なのか未だに分からんのよ。屁理屈って何なんだって聞いたら大体「そういうのが屁理屈って言うんだ!」って怒られるやん? 俺からしたらこの世にはそもそも破綻したロジックと機能するロジックしか無いようにしか未だに思えん……。

▲山下

多分、こっち(屁理屈を捏ねる側)から見たら機能してるロジックなんですけど、相手からすると道徳感情によって「分かる」という感覚には到底至れない、納得できようが無いお話が屁理屈って見なされるんじゃないんですかね?


●市川
つまり理屈は、我々はあくまで「論理」に根拠を持つものだと思ってるんだけど、世間的には「納得感情」に根拠があると。そんなとこなんだろうなあ。まあでも、理屈も最後は極めて簡単な感覚に根拠が遡るんだよね。そういう意味では我々も「論理」がどうだとか言いつつ、結局は「納得感情」に基づいて動いている同類だと言えるかもしれない。


▲山下
デイヴィッド・ヒューム的に考えると、人間ってのは感情が先にまずあって、理性は後から来るという認識なので、論拠が感覚を拠点にしているっていう主張は納得できます。哲学的には、実は機能しているロジックと機能していないロジックの、確実な見分けはつかないんですよね。ずっと感情同士の同レベルのぶつかり合いが延々と繰り返されるだけで……。


●市川
仮説的に考えてることがあって、我々が「それは破綻した理屈だろう」と言うとき、実はその「破綻した理屈」が主観的に存在してしまう人間がいるのではないかと……。


▲山下
と言いますと?


●市川
最近のネトウヨの中でも、特にヤバイ人がやることに「国籍透視」ってあるじゃないですか。何か日本の評判を害するようなことを言う人を匿名掲示板で見つけた時に、その人がアメリカ人だとか言ってても「この書き込みは韓国系アメリカ人の仕業に違いない」って、ほぼ断定する人。アレなんかは、深刻なネトウヨ以外から見ると根拠薄弱な予想、あるいは妄想にしか見えない。でも、本人の主観的には「本当に国籍透視ができてしまっている」のかもしれない……。

 

▲山下
つまり、あるロジックが他の人の論理=納得感情からは理解不能なのに、本人の論理=納得感情から見ると、もうありありと実在する、分かりまくる、と。


●市川
そう。我々と共感できないところまで感覚的に遡れる人って、案外いるのかもしれない……。


▲山下
となってくると、第三者を説得できるかという点でロジックが本当に機能してるかは判断出来るかもしれません……。

 

●市川
二者関係だとどうしてもどちらかの感情とか権力の話が入ってきちゃうからね。でも、第三者だって最初にその場にいた二者と同じ人間なわけです。


▲山下
そうですね。つまり「みんな国籍透視ができる」っていうことが共通感覚として存在している、という「論理」が通用する世界はありうると。

 

●市川
これは哲学的ホラーですよ。(笑)


▲山下
うーん。話を戻すと、結局多くの人が共感できない理屈を持ってくる我々は屁理屈をこねてるだけなんですかね……?


●市川
そうかもしれない……おお怖えええ!!

 

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