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同人サークル<アレ★Club>公式ブログ(通称:「アレ★Blog」)

ジャンル不定カルチャー誌『アレ』を作っている<アレ★Club>の日々の活動記録です。

【『アレ』Vol.1に掲載します】批評系同人座談会を開催しました!

お知らせ

去る8月某日、11月23日(水・祝)に開催予定の第二十三回文学フリマ東京で頒布予定の当サークルの機関誌『アレ』Vol.1の企画として、アニメ(ーション)批評を中心とした同人誌を発行している、アニメ批評界隈の中でも著名な方々を招き、「メディアとしての同人誌/批評と同人誌」をテーマに座談会を開催しました。

今回の座談会ですが、以下の素敵な方々にお集まりいただきました。

・シノハラユウキ氏(@sakstyle
筑波批評社所属の元ゼロアカ道場の道場破り組。春に開催された第二十二回文学フリマ東京で単著『フィクションは重なり合う』を頒布し、『ユリイカ』2016年9月臨時増刊号(総特集:アイドルアニメ)にも「アイドルは音楽である―『芸能人はカードが命』と『SEVENTH HAVEN』から」が掲載された。

フィクションは重なり合う: 分析美学からアニメ評論へ

フィクションは重なり合う: 分析美学からアニメ評論へ

 

 

・羽海野渉氏(@WataruUmino
メディアクリエイター集団<LandScape Plus>代表。『アニバタ』(アニメ・マンガ評論刊行会)や『Fani通』(F会)などのアニメ評論同人誌への寄稿を精力的に行っており、自身も同人誌『PRANK!』を刊行している。今秋開催予定の第二十三回文学フリマ東京では、『シン・ゴジラ』と「日本アニメ(ーター)見本市」を特集した合同誌を刊行予定。

twipla.jp

 

・Nag.氏(@Nag_Nay
同人サークル<アニメクリティーク刊行会>代表。アニメ評論同人誌『アニメクリティーク』を刊行し、これまでに「アニメにおける<音>」、「アニメにおける<資本>」など、アカデミックの知見と批評を結び付けることを試みる特集を多数組んできた。秋の文フリ東京では、同紙最新号(Vol.5.5β)として、新海誠および彼の最新作である『君の名は。』の特集号を発刊予定。

nag-nay.hatenablog.com

 

・ふると氏(@kei_furuto
評論サークル<余白の落書>代表。サークル誌として『余白のR』を刊行しており、アニメ単体に限らず、「社会の中のオタク文化」や「東京」など、アニメを取り巻く諸現象に着目した特集を毎号組んでいる。今年の夏コミで頒布した最新刊(Vol.7)では「ぼくらのコミックマーケット」を特集した。現在、諸般の事情で同人活動を休止中。

dilettantish-note.cocolog-nifty.com

 

また、上記の人々に加え、我々<アレ★Club>からは、以下の2名が参加しました。

・山下泰春(@yasuharu_are
同人サークル<アレ★Club>の代表。これまでに別名義で同人誌に寄稿経験があるが、今年の春頃に「俺も同人誌作りたい!」と思うようになり、親しい人たちに声をかけて<アレ★Club>を結成。

areclub.hatenablog.com

 

・堀江くらは(@kuraharu
同人サークル<アレ★Club>所属で機関誌『アレ』の編集長。Webメディアを運営する企業を今年5月に辞職し、現在はフリーの編集者・ライター。Web/紙を問わずに活動している。同人誌にかかわるのは今回が初。

kuraharu.hatenablog.com

 

以上の計6名で、同人誌を作るようになったキッカケからアニメ批評の現状、出版業界における1つの「メディア」としての同人誌の立ち位置に至るまで、当初の予定時間を大幅にオーバーし、4時間に渡って議論を交わしました。

この座談会の中身ですが、11月23日(水・祝)に開催予定の第二十三回文学フリマ東京で頒布予定の『アレ』Vol.1に掲載します。アニメ批評に興味のある方から、出版に関心のある方まで、幅広い層に読み応えのある内容になっていますので、当日は是非ともお手に取ってご覧くださいませ。

<アレ★Club>のメンバー紹介

お知らせ

★正会員★

■山下泰春(@yasuharu_are

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同人サークル<アレ★Club>の代表を務めている山下泰春です。本のアイデア出しから記事作成、そして全体の方向性の決定を主にやっています。でも、残念ながら権力は無いです。現在は某国公立大学の大学院生で、研究と二足の草鞋を履いている状態です。研究をサークル活動にも活かせるよう、日々尽力していくつもりです。
昔は小説やイラスト系の同人活動をしていた一方で、登山やサイクリング、廃墟巡りとかもしていました。楽しいことが大好きなので、皆さんに読んで楽しんでいただけるよう、同人誌もブログも頑張っていきます!∩(・ω・)∩

■市川遊佐(@ichikawa_yusa

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<アレ★Club>の副代表をやってる市川遊佐です。記事のロジックが通りやすくなるように文章を並べ替えたり、加筆・修正・削除をしたりすることが多いです。他には、チーム内のデータを収集して、まとめることとかもやっています。
無自覚なのですが、ぶっきらぼうな物言いや文体になっていることがどうやら多いらしく、怖そうだとか高圧的だとか言われることが多いです。でも、そんなつもりは無いので、仲良くしてやってください(涙)
あと、一応理系なので、それをサークルの活動でも活かして、誰も闇堕ちしない世界を作りたいです。ちなみに、僕のイラストはウチの千夜ちゃんにカッコよく描いてもらいました。

■永井光暁

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<アレ★Club>の事務局長で、機関誌『アレ』の副編集長も兼任でやっている永井光暁です。担当は事務と渉内・渉外で、ややこしい書類の作成とか、外部との交渉とか、内部のスケジュールの調整とか、お金の管理とかを主にやっています。
最近、日々の生活に追われる中で、東方Projectという素晴らしい癒しを見つけたので、それが人生の糧になってきています。ちなみに、一番好きなキャラは射命丸文です。

■堀江くらは(@kuraharu

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<アレ★Club>では機関誌『アレ』の編集長およびWeb関連の責任者をやっている堀江くらはと申します。皆さんが読んでくださっているブログ記事は、メンバーの対談を僕が編集して記事化したモノです。
本業はライター・編集者で、BtoBのお仕事がメインですが、今年5月にWebメディアの会社を辞めてフリーになってから、皆さんの目に触れるような場所で記事を書くことが増えてきました。
<アレ★Club>には半ば暴力的に参加させられたのですが、より良いメディアを作れるよう、努力していきたいと思います。
※参加理由について詳しくはコチラ(ダイレクトマーケティング)

kuraharu.hatenablog.com

 

■みく

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<アレ★Club>の末席に加えさせていただいています、みくと申します、こんにちは。役割としては、ブログ記事にツッコミを入れることしか今はしていないんですが、何気に出版に携わった経験が多いので、そのうちDTPのお手伝いなんかもさせていただく予定です。
批評厨だったのも今は昔、文章とは縁遠いエンジニアの世界で生きています。正しいとか間違ってるとかじゃなくて、読む人が舞い上がるようなモノを作りたいですね。

★準会員★

■冬野千代

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<アレ★Club>関係のデザインや編集のお手伝いをしている冬野千夜です。メンバーの皆さんの原稿や画像やアイデアを、Illustrator、Photoshop、InDesignなどを駆使して形にし、入稿データにする係をやっています。皆がサービス残業をしなくていい世界を求めています。

■うらしま左近(@urashimasakon

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<アレ★Club>の裏方で事務関係のお手伝いをしている、うらしま左近と申します。やっていることは主に編集の皆さんのスケジュール管理をしてせっつくことです。ちなみにダイエット中です。

■さいむ(@_Thursday_man_

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<アレ★Club>で文章関係のお手伝いをさせていただいています、さいむと申します。サークルでは、執筆者の皆さんの原稿の言い回しや誤字・脱字のチェックが主な仕事です。『ひとりぼっちの地球侵略』というマンガが大好きで、普段はそれのことしか考えていませんが、せっかく同人サークルに加わったので、それ以外のアレコレにもこれから挑戦していこうと考えています。

【第一回】哲学好きの代表と学ぶはじめての『精神現象学』

哲学好きの代表と学ぶはじめての『精神現象学』 山下泰春 永井光暁

★対談者紹介★
▲山下泰春(@yasuharu_are
<アレ★Club>代表。高校時代から『道徳形而上学原論』なんかを読んでいた。
◆永井光暁
<アレ★Club>事務局長兼『アレ』副編集長。あまり哲学書を読まない人。一番最初に読んだ哲学書は『方法序説』。

日常をベースにした哲学

▲山下
先日、理系の友人から「哲学って、物体を取り扱ってないから難しいんだよ」って言われたんですよ。多分ですけど、理系に限らず、哲学に触れたことがない人には、哲学って「とにかく分かりにくくて、何を言っているのかよく分からないモノ」という感じに思われているんでしょうね。
ということで、今回から永井さんと一緒に、ドイツの大哲学者ヘーゲル『精神現象学』という哲学書を、一番読みやすいと言われている長谷川宏氏の訳で読んでみようと思います。哲学が何について話しているのかが分かれば、哲学はぐっと身近なものになりますし、内容が分かれば、結構面白いものだと思っていただけるハズです。

◆永井
また随分と唐突な。ってか俺、本を読むこと自体がそんなに好きじゃないんだけど……まぁ、頼まれた以上、付き合うよ。で、何故にヘーゲルの『精神現象学』なの?一応、『精神現象学』はドイツに限らず、全ての哲学書の中でも最も難しいモノの一つだってよく言われているけれど、ホントに大丈夫かい山下君?

www.philosophyguides.org

▲山下
勿論です。まぁ、流石に「簡単だよ」とまでは言いませんが、『精神現象学』は哲学書の中でも珍しく、私たちの「日常」をベースに哲学をスタートしている本です。なので、この本なら「哲学は抽象的なことしか言っていないじゃないか!」っていう誤解を解けるかなと思いまして。まぁ、早速「まえがき」(P.1~P.48)を読んでいきましょう。

一巻の書物のはじめに「まえがき」なるものを置き、その書物で著者のねらいとする目的がどこにあり、また、同じ対象をあつかう前代や同時代の作品にどう刺激を受け、どう新境地を開いたかを説明するのが慣例のようになっているが、そうした説明は、哲学書の場合、不必要であるばかりか、事柄の性質上、不適当で不都合であるとさえ思える。(P.1)


◆永井
初っ端からヘンテコな文章っすね。でも、ヘーゲルがこれまでの哲学書についての反省を踏まえて話を進めようとしているのは分かる。つまり、一般的な本の「まえがき」の部分では、「前の時代や同時代の作品から斯々然々の影響を受けました!」みたいなことが書かれていることが多いけれど、哲学書の場合、そういうことを書くのはナンセンスで、ぶっちゃけ邪魔だ、ってことね。あぁ、だからヘーゲルは続けて下のようなことを書いているワケか。

人は哲学体系のちがいを真理の発展段階のちがいとしてとらえることなく、ちがうものはどちらか一方にしか真理はないと考える。それはちょうど、つぼみがなくなって花が開くとき、つぼみは花によって反駁される、というようなもので、それにならえば、実がなれば花は偽の存在だということになるし、植物の真理は花から実へ映ったことになる。それぞれの形は、たがいに異なるだけでなく、両立しえないものとしてたがいに排除しあう関係にあるわけだ。(P.2)


▲山下
そういうことです。今までの哲学体系は、「花に真理がある!」と言ったり、はたまた「実は種に真理がある!」と言ったりしていて、ちゃんと「花」を「植物」として捉えてはいない、という皮肉ですね。植物は種があり、種が芽吹いて花になり、そして種を落として……というのを繰り返す。つまりヘーゲルは、「哲学の体系は、こうした流れを全部捉えないと、本当に哲学をしたことにはならないんだよ!」と言ってるんですね。

◆永井
なるほど。まぁ、推測だけど、当時の哲学者たちの乳繰り合いみたいなのがイヤだったんだろうね。実際、『精神現象学』を書いていた当時のヘーゲルは、カントという哲学者の正当な後継者争いに、間接的にだけど巻き込まれて、相当に気が滅入っていたらしいしね。
話を戻すけど、どうして哲学の体系が流れを全部捉えないといけないのかについて、ヘーゲルは次のように言っているね。

なぜなら、事柄は[……]展開過程のうちに汲みつくされるものであり、したがって、結論ではなく、結論とその生成過程を合わせたものが現実の全体をなすのだから。(P.3)


▲山下
この言に従えば、つまり哲学は、最初の前提から、どういう論が述べられていて、どういう結論に行きつくかという、三つの過程全てが大事ということですね。この前提があって、初めて哲学を始めることができるんですね。さっきの花の例で言うなら、まず種があって、栄養や水をあげた結果、芽が出る。その後、そこからさらに栄養やら水やら日光やらを得て、花が咲く。そして、花はいずれは枯れるけれど、種を落として、その種がまた……というのを繰り返す。ヘーゲルによれば、ここまで言って、初めて植物の哲学をすることができる、ということです。
とはいえ、これだけだとまだ何も言っていない感じがしますよね。これまでの哲学者に対するヘーゲルの怒りみたいなものは感じられますけど。

弁証法を使って考えよう!

◆永井
またえらくド丁寧というか、クソ真面目というか……でも、哲学をするって、こういうことなんだろうね。高校の倫理の授業で聞いたことがある人もいるだろうけど、今の「花の例」は、いわゆる「弁証法」というヤツだよね。「ヘーゲルの哲学で重要なのは弁証法です」ってよく聞くけど、「弁証法」っていう言葉自体、普通に生きている限り、あんまり聞かないよね。

▲山下
確かにそうですね。でも、覚えておくと便利な考え方かもしれませんよ?というのも、「弁証法」は意外と色んな場面で使える考え方だからです。有名な例だと、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹や武谷三男が「中間子」を発見したのは、弁証法を使って考えたからだ、という指摘があったりします。

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それに、弁証法の良い所は、日常経験で理解できることにあります。種が種でなくなって、芽も芽ではなくなって、そして花になってもまたすぐに種を落とす……こういう物事の移り変わりも、弁証法で考えれば、哲学の第一歩を踏み出したも同然です!
ただまぁ、それと同時にヘーゲルは、「日常生活それだけでもダメだよ!」と言ってたりもするんですけどね……。

日常の衣食住の生活をぬけだして教養へと一歩足を踏み出すには、一般的な原則と視点に立つ知識を獲得し、事柄一般を思考できるまでに訓練を重ね、根拠をあげて事柄の是非を判断し、具体的で内容ゆたかな対象を明晰にとらえ、きちんとことばにし、真剣に判断をくだせるのでなければならない。(P.3)

ただし、教養がはじまったばかりの時点では、日常生活の充足のなかで事柄そのものと真剣にとりくむ、という形の経験が重ねられる。その段階を経て、事柄の深層にある概念とのとりくみが真剣になされる場合でも、その水準での知識や評価を披露する場としては、日常会話こそが似合いの場というべきなのだ。(P.3)


◆永井
うーん、これも弁証法だなぁ。つまり、まず日常生活から「これは何だ?」と問い、そしてちゃんと考え抜いて結論を出して、最後に日常生活で結論を実践する、と。で、この過程そのものが弁証法ってことか。
でも、確かにメッチャ便利だけど、便利過ぎると、何か返って疑わしくなってくるねぇ。山下君、弁証法の欠点って、何か考えられるかい?

▲山下
うーん……弁証法は思考法の一種なので、あんまり思い浮かばないですね。ただ、流石に未来のことは何も言えない、ということは覚えておくといいかもしれません。何処かの誰かさんたちが、弁証法を悪用して、予言めいた発言を繰り返してきた歴史があるので……。これを「花の例」で言うなら、種に栄養と水をやれば芽が出てくる「だろう」、芽が栄養と水と日光を得れば花が咲く「だろう」、といった感じですかね。まぁ、これは花を例にしているので、多少変な感じがしますが。
……とりあえず、一文一文精読し始めて、ここまでで2時間かかったので、続きは次回にしましょう。

◆永井
2時間で3ページっすか、先は長いねぇ……。

精神現象学

精神現象学

 

 『精神現象学』その1。このブログで使っている本はコレ。最も平易な文章の訳。

 

精神現象学 (上) (平凡社ライブラリー (200))

精神現象学 (上) (平凡社ライブラリー (200))

 

 

精神現象学〈下〉 (平凡社ライブラリー)

精神現象学〈下〉 (平凡社ライブラリー)

 

 『精神現象学』その2。持ち運びに便利。
 

精神の現象学 上 (ヘーゲル全集 4)

精神の現象学 上 (ヘーゲル全集 4)

 

 

精神の現象学 下 (ヘーゲル全集 5)

精神の現象学 下 (ヘーゲル全集 5)

 

 『精神現象学』その3。邦訳版『精神現象学』の始原にして頂点。最も難解だが、最も長い解説もついている。ただし分厚い。

結局「貧困」の何が問題なのか?~リアリティ・加藤智大・責任論~

対談 市川遊佐 永井光暁

★対談者紹介★
◇市川遊佐(@ichkawa_yusa
<アレ★Club>の副代表。贅沢のし過ぎで栄養失調になっていたことがある。
◆永井光暁
<アレ★Club>の事務局長。実家は自営業で本人曰く「日銭暮らし」。

◇市川
先日から、貧困JKネタでTwitterやブログが盛り上がってるね。なんでも、NHKの取材に対し、パソコンが買えないからキーボードだけ買ったとか言ったのに、実は高いランチを食べたり遊びに使う金があったとか?
 

blog.livedoor.jp
 

◆永井
今回の騒動については、ネットまとめとかを見る限り、件のJKは貧困には見えづらい行動や発言をTwitterにアップしたみたいだね。仮に彼女が本当に貧困だったとしても、そうは見えにくいって意味で、虚偽報道だと思われても仕方ないかなぁ……。
あと個人的には、今回の報道にあった「専門学校の入学金が払えない」ってのが仮に本当だったとしたら、将来を見据えて貯めた方が合理的なお金を、今ある欲求を満たすためにしか使わせていない親御さんの教育にも問題あると思うよ。要するに将来設計ができていないワケで。

◇市川
その流れで行くと、僕は授業についていけないってところが気になった。あの報道がどれだけ貧困の実態を映しているのかについては何とも言えないけど、パソコンがないから授業で「ダブルクリック」とか「スクロール」とか言われてもワケ分からないみたいな話が出ても、「いや、IT系のスキルを学校で教えるのなら、ついていけるとかついていけないとかじゃなくて、そこら辺もちゃんと学校で懇切丁寧に教えろよ」としか思えなかった。今さっき出た貯金云々の話も含めて、何かズレてるな、って。

◆永井
確かにねぇ。でもまぁ、今回の件は、内容の是非や真偽はともかくとして、少なくとも貧困について改めて考え直すいい機会にはなったんじゃないかな。

数字から見る「貧困」を簡単に

◇市川
それはそうだね。ところで永井さん、これだけネット上で貧困云々と大勢の人が騒いでるけど、ぶっちゃけ「貧困」って一体どういう状態のことを指すの?僕もたまに「政治的な都合(笑)」で貧困アピールするんだけど、たまに「もしかしたら俺ってホントに貧困なのでは?」って思うことがあるんだよね。その辺について、何かより掘り下げたお話とかないの?

◆永井
うーん、残念ながらごく一般的なことしか言えないんだけど、一口に「貧困」と言っても二種類あって、「絶対的貧困」と「相対的貧困」に分かれるのね。絶対的貧困っていうのは、簡単に言えばその日の衣食住にも困るような状態のこと。一方の相対的貧困は、生活水準が平均水準と比較して低い状況のことを指す。
で、昨今よく取り上げられてるのは、後者の相対的貧困の方で、現在の日本は6人に1人が相対的貧困の状態にあると言われている。ただ、これはあくまでも貧困率、あるいは収入から見た話であって、現実の生活状況とどの程度リンクするのかについては諸説あるので、ここでは言わないでおくよ。

 

日本の子ども、6人に1人が「貧困」 | NEWS WATCHER | 朝日中高生新聞 | 朝日学生新聞社 ジュニア朝日
 

◇市川
なるほど。ちなみに、僕的には相対的貧困の生活のありようはそれぞれで、絶対的貧困はなんとなくイメージしやすい感じがするけど、その辺りはどうなの?たとえば「絶対的貧困=ホームレス」みたいな。

◆永井
まぁ、当座の金もなければ、その日の衣食住さえも怪しいってなったら、そういう状態の貧困はイメージしやすいかもね。当然ながらそういう状態にある人たちは生活の質もボロボロだし、下手すれば明日の命もどうか……ってなワケで。

◇市川
そういや、「ホームレスになっても鍋は手放すな」ってアドバイスを昔知り合いから教えて貰ったことがあるよ。鍋があるだけで、できることが一気に増えるんだとさ。たとえば、モノを入れて水汲んで煮るとか。これができるとできないとで、全然生活の質が違うんだろうね。

「貧困」のリアリティ

◆永井
今ホームレスの話になってふと思ったんだけど、ホームレスの生活ってのもなかなかイメージしにくいだろうね。「絶対的貧困=ホームレス」ってのはイメージできても、ホームレスの生活の実態については、そこまで考えている人は多くないんじゃないかな。なので、いざ自分がホームレスになりそうな状況に追い込まれたら、焦る人が山ほどいると思うよ。どうすればいいか分からずに、途方に暮れてしまう人とかね。

◇市川
家から西成が近い永井さんが言うと、何か重みがあるね……その話に繋げて言うと、西成の釜ヶ崎(あいりん地区)にはホームレスは勿論、ホームレス一歩手前みたいな人が沢山いるけど、そういう人たちの生活も、イメージするのが難しいだろうね。

◆永井
だろうね。僕、人に頼まれて西成を案内したことが何度もあるんだけど、人によっては「こんな場所がまだ日本にあるんですか!?」とか「こんな状況があっていいのか……」って実際に言う人もいるよ。まぁ、確かにごく普通の人からすればかなりのカルチャーショックがあるみたいだけど、言って西成も日本の一地域でしかないワケで……ってのは、地元民だから感覚がマヒしてるのかな?
ともあれ、色んな人が西成を貧困の象徴みたいに扱っているけれど、西成にも西成なりの生活があるワケだよ。そこには当然悲喜交々があるし、毎日負のオーラに包まれているワケでもない。

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西成の風景
画像参照→http://murauchi.muragon.com/entry/513.html

 
◇市川
自分も永井さんに連れられて西成に行ったクチだけど、少なくとも自分にとっては過ごしやすい場所だったよ。確かに貧困ビジネスの問題とか、高齢化の問題とか、ヤクザの問題とか、色々あるのは事実なんだろうけど、あそこを見て「西成は不幸!だから西成を変えよう」と何の疑問も挟まずに思ってしまうのは、流石に理解が雑過ぎるんじゃないかなと思う。

◆永井
まぁ、雑な理解が延々と続いてきたから今の西成があるってのも少なからずあるんだけどね。とはいえ、雑な理解で環境を変えようとしても上手くいかない場合が多いから、何事も体験してみるのがいいんじゃないかな。西成も、「聞く」と「行く」とでは大分と違うだろうしね。

◇市川
でも、そもそもそういう人たちは、自分のイメージでしか世界を見ていないから、そういうことを言っちゃうんじゃないの?で、そういう人に西成の一串70円の美味しいホルモン焼きとか、千ベロ(千円でベロベロになるまで酒が飲める)とか体験させても、美味いと感じる前に、「こういう安い食べ物で飢えをしのいでるんだな、可哀想に」って考えが先に来ちゃうと思う。

◆永井
うーん、否定しにくいかも。……気になったんだけど、皆が漠然と「貧困」って言っているような生活って、一体どういうモノなんだろうね。つまり、皆はどういう生活を「貧困」と言っているのか、ってことなんだけど。

◇市川
多くの人は、絶対的貧困に陥っている人の生活を、「貧困」としてイメージしているんじゃないかな。そういう人を「貧しくて困っている」人、つまり「貧困」な人だとイメージしているんだと思う。じゃあ「貧しくても困ってない」人ってどうなんだってなるけど、これはあんまり「貧困」って感じがしないよね。だとすれば、実は「貧困」の本質は「貧しいことが原因で困る」ことにあるんだと思う。
なので、僕個人としては、死ぬまでのお金の工面の方法がぼんやりとも描けなくなることが「貧困」だと思うんだよ。この意味での貧困に陥っていなければ、人より年収が少なかったりしても、楽しく死ぬまで前向きに生きられるんじゃないかな。
この考えを一般的な仕方で定式化すると、僕は貧困ってのを、経済的事情が原因で、欲望と構想力が社会との間で上手く噛み合わなくなる問題だと考えているワケ。要するに、「自分の欲望と社会との死ぬまでの共存を構想できなくなった状態」を「貧困」と言うと思うのよ。

◆永井
その考えで行くと、先行きの見えない現代社会では、多くの人が市川君の言う「貧困」もしくは「貧困予備軍」になると思うんだよね。今に生きるのに必死で、将来の展望が見えない人なんてごまんといるでしょ。で、そういう人がやり場の無い不安や、長期的な欲望が無いことで、有り余ったエネルギーをネットでの炎上や、弱者へのバッシングにぶつけているのかもしれない。
これは個人的な見解だけど、当座の元手が無くて、今を我慢して生きている人は実際沢山いると思うよ。でも、将来を見据えた上での計画的な我慢ならともかく、我慢それ自体を美徳としたり、それを他人に強制したり、今言ったような我慢できていないように見える人を批判したりするのは、流石に行き過ぎだし、「正義」の旗を掲げて暴力的な行為・発言をする人はどうかと思うよ。

◇市川
その通りだし、それにこれって、今回の貧困JKの問題と無関係じゃないと思うよ。あの報道の事実云々はともかくとして、自分だけが我慢している状況が許せない人がいるから、「貧困アピールしているけど自分のやりたいことをやっているJK」が炎上したんじゃないの?そういう人の考えが変わらない限り、社会はますます暗くなるだろうねぇ。

◆永井
まぁ、一度できてしまったサイクルを崩して、新しいサイクルを打ち立てるのも難しいだろうけどね。そういや、「貧困も再生産される」ってよく言われるね。「親が貧乏なら子も貧乏」みたいな。で、どうしてそういう悪循環が生じるのかって言うと、結局は貧困から抜け出そうにも元手が無い人が多いからなんだよね。

◇市川
そう、貧困を解消しようとするなら、「当座の資本」を元手に資本を増やす必要があるワケで、それは個人レベルに限らず、世代レベルでも同じことが言える。ただ、「当座の資本」と言っても色々あって、手元にあるお金以外にも身分とか立場もある意味で「当座の資本」だと言える。

◆永井
身分や立場も含まれるなら、学歴とかも?

◇市川
そうだね。この国では学歴が金銭以外の「当座の資本」の代表格だと言えると思うよ。だからこそ、貧困JKの話題で学費が云々という話になったんだろうし。

学習機会の「貧困」と経済的な「貧困」

◆永井
学歴と貧困の関係か。少なくとも、今の日本では関係ありそうだけど、でも、この点については慎重に考えないといけないと思うよ。というのも、今の日本では学習機会の貧困と経済的な貧困が結びつきやすくなっていて、その実態が見えにくい部分が相当あるだろうからね。
たとえばだけど、よく「経済的な事情で進学を諦めました」って話があるじゃん?そういう話を聞くと大体の人は「経済的な貧困が学習機会の貧困を生む」という話だと考えると思うのよね。でも、奨学金とか学費の減免制度を利用すれば、少なくとも国公立大学は卒業できるはずで、その後の借金の返済も、大卒で働けるようになるアドバンテージを考えれば、必ずしも無茶な話ではない。

◇市川
なるほどね。つまり、絶対的貧困に近いラインに追い込まれて、勉強する時間も無ければ学生を続けられる経済的余裕も無いって家庭でもない限り、文字通り「金が無いから進学できない」ってことは起こりにくいってことか。でも、実際に「経済的な事情で進学を諦めました」って話は、割と聞くじゃん?アレって、実際には何が起こっているの?

◆永井
色々あるとは思うけど、たとえば親が教育に理解を示してくれないとか、親が絶対的貧困に近いレベルでお金を散在しているとかじゃないかな。話の最初でも少し触れたけど、今回の貧困JKの件は、仮に経済的困窮が理由で専門学校の入学金が払えなかったのが事実だとしたら、キチンと将来設計ができていないJKの家庭にも、少なからず問題があるってこと。そういうのは、「その時に必要なお金が用意できない」って意味では、確かに「経済的な事情で進学を諦めました」に含まれるんだろうけど、人々が思うような貧困と比較して考えれば、かなりのズレがあるんじゃないかな。

◇市川
厄介な話だなぁ。でも、学習機会の貧困が、経済的な貧困を生んでいるってのは、事実としてありそうだね。
あと、今の永井さんの話で思ったんだけど、日本はとにかく大学や専門学校の学費が高いんで、「金が無いから進学できない」って言葉が額面通りに受け取られ過ぎて、「経済的な貧困が学習機会の貧困を生んでいる」と思われやすいんだろうね。でも、受験を経験した立場から言わせてもらうと、勉強ってそれなりに難しいし、旧帝大や難関国公立大学に進学する場合、それなりに勉強に向いていないと難しいと思うけどね。

◆永井
大学や専門学校の学費の問題もあるけれど、僕としては高校の進学率も結構問題だと思うんだよね。日本って、義務教育ではない高校への進学率はメチャクチャ高いじゃん?それって、学歴社会だから皆最低でも高卒の資格が欲しいからなんだろうけど、義務教育終了後の最初のステップがほぼ高校進学一択ってのも、どうかと思うよ。現実問題、中学出たら働きたいって子がいても、そういう子たちが働ける機会ってのは、事実上ほとんど無いワケだし。

◇市川
それもあるけれど、今結構な数の高校生が塾に通ってるじゃん?アレって、高校の教育レベルが下がっているって言われているのもあるんだろうけど、そもそも高校の授業内容って、簡単に習得できるモノではないんじゃないかな。「高校の授業内容が理解できないとかウソだろ」って言う人もいるだろうけど。さっきの義務教育の話も絡めて考えると、スキルの獲得って意味で高校生活が将来のためになっていない層も、それなりにいる気がする。もちろん、青春をエンジョイしてコミュ力が身に付くみたいな話もあるだろうけどさ。
 

berd.benesse.jp

 
◆永井
多くの人が大学に進学したがる理由も、大体は就職が有利になるように、言い換えれば学歴社会で大卒の資格が欲しいからだよね。でも、高校の授業内容が分からずに大学に行っても、大学レベルの学問を理解するのは難しいだろうね。それに、周りが皆高校や大学に行くから、流されてなんとなく進学しちゃう人も、決して少なくはないんじゃないかな。
個人的には、中卒でもキチンと働ける社会になればいいなと思ってる。具体的には、早い段階で手に職を付けて、職人としてキャリアを積んで、そういう人がちゃんと尊敬されるような社会ね。

◇市川
事務処理ができるサラリーマンと数理系の計算ができるエンジニアを山のように作るのが戦後日本の教育だったけど、そんな教育で十分な時代はもう終わったんだろうね。一応、今はIT業界と福祉業界が大量に人材を求めているけど、その先を見据えないと、どうしようもないんじゃないかな。ゆとり教育だって実はコケていなかったんじゃないかっていう話もあるくらいだし、もう一度真面目に人材を無駄にしない教育ってのを考え直してもいいんじゃないかとは思うね。

「貧困」の短期長期と加藤智大

◆永井
話を貧困に戻すけど、この国は学習についていけなくなった人を無駄にしているだけじゃなく、貧困に落ち込んだ人も正しく扱えていないと思うんだよね。僕は貧困は「短期的な貧困」と「長期的な貧困」に分けられると思っていて、短期的な貧困は日雇いとかでとりあえずその場はどうにかできるんだけど、長期的な貧困状態にある人に対して、この国は漠然とした政策しか持っていないんだよね。そういう長期的な貧困で苦しんでいる人向けの公共福祉といったら、せいぜいハローワークか、あるいは労働機会の拡大くらいじゃないの。まぁ、「労働の義務」を掲げているこの国が、福祉的に労働機会を生活困窮者に与えているって、ぶっちゃけギャグにしか見えないけどね。

◇市川
実際問題、生活保護とか受けるレベルの貧困に陥っている人に対してできるアドバイスって「働け」とか「将来に投資しろ」とかしかないけど、それをやり遂げるのは現実的に考えて難しいし。
 

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そういや、西成で生活保護受給者がパチンコ通いしててニュースになったけど、それもしょうがないことなんじゃないかな。だってそれくらいしか楽しみが見出せないワケだし。でも、生活保護を受けているのにパチンコをしている人に「無駄遣いするな!」って批判する人は実際多い。だけど、そういう生活の喜びすら奪ってしまったら、生きることそのものに鬱憤が溜まるし、最終的には何も守るものがなくなって「無敵の人」になっちゃうんじゃないかな。守るものも生の矜持も何も残っていないから、他人をいくら傷付けても一切怖くない人。昔、トラックで秋葉原に突っ込んだ事件があったけど、アレの犯人とか、典型的な「無敵の人」だったと思うよ。
 

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◆永井
結局、長期的な貧困にある人をどうすればいいのかについて、誰も分かっていないんだよね。というか、これは日本だけの問題じゃないからなぁ。たとえばアメリカとか、家に火炎瓶を投げ込んでくる「無敵の人」が出てきたから、金持ちは柵で自分たちの家を囲って、さらにはご丁寧に警備員まで自前で雇っちゃうゲーテッド・コミュニティがあるし。

◇市川
かといって、「貧困層が社会でもう一度活躍できるようにしよう!」と言っても、今の日本では少なくとも現実的ではないと思う。この国はアメリカほどではないにせよ、「自己責任」を原則に動いているんで、貧困層に対しても「バカだから貧乏になったんだろ!俺は知らん!」って態度の人が多いだろうし。

◆永井
まぁ、自己責任が原則ってのは確かにそうではあるけど、「貧乏=敗者」って構図はどうなんだろうね。誰も好きで金が無い状態に進んでなろうとは思わないだろうし。それに、さっきのパチンコ問題にしても、アレに対する批判を突き詰めていけば最終的には「貧乏人は遊ぶな!」ってことになると思うんだけど、じゃあ貧乏人は常に働いて、家では慎ましやかに暮らして、楽しそうにするなってことなのかね。そこまで行くと、何か「貧困しぐさ」みたいなのがあるみたいで怖いし、やはりイメージの押し付けだと僕は思うけどね。

◇市川
それも貧困に対するイメージの問題なんだよなぁ。結局、貧困に陥っている人たちの生活に対して想像が及ばないから、解決策が一向に出てこない。そういうことなんじゃないかな。
でも、解決策が出ないなら、思い切ってベーシック・インカムを導入したらどうなるんだろうね?自己責任を極限まで推し進めたら、何か変わるかもしれないし。まぁ、経済についての議論はちょっと自信無いからここではやらないけど。

「貧困」と「責任」

◆永井
自己責任で思い出したけど、昔、橋下徹さんが大阪府知事だった時に、私学助成金削減の撤回を求めて橋下さんと議論しに行った高校生がいたんだよ。その時に橋下さんが高校生たちに、「今の日本は自己責任が原則ですよ。誰も救ってくれない。私学にしか行けなくなるまでどうして何もしなかった」と言っていたね。
 

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◇市川
高校生相手に結構キツい直球を投げてるなぁ。とはいえ、正論と言えば正論かな。でも、責任のとり方って、法律通りにはいかないよね。法ってのは基本的には「払える責任は有限であり、しかも明文化できる」という考え方で社会を回すためのシステムじゃん?少なくともハンムラビ法典以来、法ってのはそういう風にできている。「目には目を」ってあるけど、あれって言い換えれば「ある被害を受けた時にそれを変に倍返し(過剰報復)するのは止めろ」って話なワケで。実際、倍返しが認められたら社会なんて簡単に崩壊しちゃうだろうしね。

◆永井
なるほど。でも、責任を無限にとらせたい人もいるんじゃないかなぁ。昨今のネット炎上とかを見る限り、何かやらかした人がいれば、それをやらかしたヤツの存在を消し去りたいって思う人も、決して少なくない気がする。戦国時代で言えば、戦に負ければ一族郎党全員処刑って感じに。

◇市川
だろうねぇ、怖い怖い。ってか、「責任」って言葉自体、微妙じゃない?「責められる任」って、「失敗したらハラキリ」感がスゴいよ。一昔前ならともかく、今時「過失=即死刑」なんてありえないんだから、少々悪いことをしても、その人は何らかの形で社会に残る。だから悪いことをした人がいた時は、社会にいる全員が、その人と今後も付き合っていくことを前提に物事を考えないといけないワケで。

◆永井
これって「無敵の人」の話と繋がってこないかい?貧困に喘いだ末に何もかも守るものが残っていない人間も、その人が死ぬまでは同じ社会で生き続けないといけないんだし。そう考えると、「自己責任」を盾に、「ある人が貧困に陥った影響はその人にしか及ばない」と考えるのは、あまりにも早計だと思う。

◇市川
「人のフリ見て我がフリ直せ」じゃないけど、他人の失敗をただ批判したり嘲笑したりするだけじゃ、何も解決しないもんね。
ところで、「責任」の元の言葉は「Responsibility(応答可能性)」で、コッチの方が「失敗しても応えないといけないので死ねない」感じが出ていて僕は好きなんだけど、それでも「Self-responsibility」って言葉になると、途端に「俺とお前は別世界の住人だから。さよなら」って感じになる。まさにゲーテッド・コミュニティの思想だなぁって思うよ。

◆永井
とはいえ、ゲーテッド・コミュニティも独立で存在できているワケではないからねぇ。色々なモノを外部とやり取りしているし、そもそもどれだけ閉鎖的な空間であっても地球上にあるんだから。極端な話、何処かから誰かがミサイルでも撃ったら、普通に壊滅するよね。そう考えると、やっぱり「外部と完全に関係を断った世界」なんてのは、ムリなんじゃないかなぁ。

◇市川
まぁ、そもそも一人で生きていくのは限りなく不可能に近いし、やるにも超人的な力が必要だろうしね。

◆永井
そういうこと。話を戻すけど、法的に誰がどの程度の責任を取るのかって問題は大事だけど、それが明らかになったとしても、それで「失敗した人間とどうやって共存していくか」って問題が無くなるワケではないんだよね。社会は責任を払った側が追い詰められて「無敵の人」にならないようにしないといけないし、責任を払わせた側もその結果に我慢しないといけない。

◇市川
そして、この問題についていくら考え続けても、それでも貧困問題は永遠に無くならないだろうね。それでもどうにかするとすれば、各人ができる限り現実を直視しつつ、現実の多様性を認めつつ、そして想像力を身に付ける努力を怠らないようにしないといけないだろうけど……一度凝り固まった認識を改めるのは難しいからなぁ、骨が折れそうだよ……。
長々と語ってきたけど、疲れたよ永井さん。ホント、いっそ何もかも忘れて、一時でもいいからバカになりたいよ。

◆永井
おっ、それなら面白い映画がありましてですね……。

 

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最貧困女子 (幻冬舎新書)

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論理と共感の殴り合いを止めるには?~人間関係ゲーム化計画~

うらしま左近 対談 市川遊佐

★対談者紹介★
◇市川遊佐(@ichikawa_yusa
<アレ★Club>の副代表。人生エンジョイ勢になれない。

■うらしま左近(@urashimasakon
最近入った<アレ★Club>の新人さん。人生エンジョイ系男子。ウェイ!

 

◇市川
最近、「人と僕とで、物事に関わるスタンスが違う」ってことで悩んでるんだよ。

■左近
へぇ、それはどういうことでなの?

◇市川
たとえば、昨日見たテレビのこととか、あるいは話題の事件とかについて話すでしょ。そういう話題を見つけた時に、僕はどうしても「何が問題の本質なのか」、「問題を解決するための必要十分条件は何か」、「具体的に自分は何をすればいいのか」みたいなことを考えてしまうし、それ以外はあまり考えられない。もっと言えば、関心が持てない。なんか地獄のミサワが描いた漫画の登場人物みたいな物言いで我ながら小っ恥ずかしいんだけどね。でも、実際そうなんだからしょうがない。
ともあれ、誰かと一緒に話をしていて、「本質はなんだ」とか「解決策はどうだ」とか言ってると、なんか浮くことがよくある。多くの人は、そういうことについて考えずに話し続けることができるみたいだけど。とはいえ、僕の場合、そういう場に長居することすらキツい。
でも、自分と比べて、そういう生き方をしている人の方が人生をエンジョイできているように見えるし、そうやって何時間も時間を費やした末ににポロッと重要な意思決定がされたりすることも多いので、普通の生き方をしている人の中に僕も溶け込みたいって思うんだよ。そもそも、浮くと色々と面倒臭いしさ。どうすればいいのかな?

■左近
確かに、多くの人は何かの問題について語りたいだけだったり、特に意味もない雑談をしたりするよね。市川さんみたいに、問題を解決するために話を進めたり考えたりする「だけ」の人は少数派だと思うよ。
今の話を聞いて考えたんだけど、人間の思考って、「論理重視型」と「共感重視型」の2タイプがあると思うんだ。人の考え方って、対象によって変化するし、どちらかに振り切れることなんてまずないんだけど、どうしても「論理」と「共感」のどちらかを重視しがちになる。
「論理重視」の人は市川さんみたいに、物事を具体的に考えて話し、「共感重視」の人は相手の反応や人間関係を大事にしながら、それぞれ話したりする。
そして、この2つのタイプは、どうももう一方のタイプの人とは上手にやれないことが多い。例としては極端だけど、車が故障した時の男女差の話とかが分かりやすいんじゃないかな。

男「ライト点く?」女「何で?」男「バッテリー上がってるかも…」女「何の?」男「ん?」女「ん?」 男女の脳の違い | ニュース2ちゃんねる

この場合だと、男は論理、女子は共感ってなってて、お互い話が噛み合わずに最終的には喧嘩しちゃう。まぁ、童貞の僕には女性が共感重視の人が多いなんて分からないし、そうは思わないけど(笑)

◇市川
言われてみれば、僕は論理的に物事を考え過ぎて、たまに空気を乱すことが割とあるな。逆に、論理的じゃない人の話を聞いているとイライラしちゃうこともある。そのせいで、周りの人間に対して「なんでこんなこともわからないんだ、馬鹿め」と思うこともあるけど、よくない癖なんだろうなぁ。

■左近
マジで悪い癖だと思うよ。論理を重視している人は物事を詳しく、具体的に考えて物事を解決に導くように思考して話すからなんだよね。だから、共感重視の人が何も考えていないように見えて、ついつい馬鹿にしちゃう。
でも、共感を重視する人たちって、その場の人間関係を乱さないことを大切にしている。物事を解決するって意味では、スムーズに意思決定をすることに重点を置いている人たちとも言い換えることができると思うよ。何かを決める必要が出てきた時に、人間関係は具体的な思考と同じくらい必要なものだと思うから、彼らを軽視しちゃいけないと思う。
もちろん、共感重視の人が、論理重視な人を馬鹿にすることもある。「こいつ、場の空気を乱しやがって」みたいな感じでね。ともあれ、どちらのタイプも、相手に対する想像力が欠如している時に、こういう思考に陥っちゃうんだよね。

◇市川
刺さるなぁ……で、意思決定が必要な時にはどちらの立場も必要っていうのはよく分かったけど、日常生活の場でギスギスしないためには、どうしたらいいんだろ?
共感重視の人って、物事を論理的に考えること自体をコストだと考えていると思うんだ。考えることは苦痛だし、人間関係を壊す可能性もあるからね。確か、ウェーバーも同じようなことを言っていた。

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一方で、僕たち論理重視の人たちは、その「コスト」が大好きなんだよ。ちょっとした「コスト」を払うことで、莫大な労力が浮いたりするのが快感でさぁ……で、この大きな差異が中々埋められない。
そりゃ、僕が深い関係を築いている友人は論理重視の人たちだけだし、共感重視の人たちも同じタイプでコミュニティを作っていると思うよ。でも、会社や学校の人間関係ではそうはいかないじゃん?
多分、どちらのタイプも「相手の気持ちを考えて行動しましょう」とか「我慢して相手に合わせましょう」ってのが大人の回答なんだろうけどさ。でも、それってかなり消耗しちゃうじゃん?子供っぽい意見なのは分かっているけど、それを続けられない人もいると思うし。

■左近
うーん、難しい問題だね。結局は個人の意識の問題だからなぁ……これって、難しく言えば「他者との共生を苦痛なくやるにはどうすればいいか?」って問いだよね。これは1つの提案に過ぎないんだけど、人間関係を頭の中でゲーム化しちゃうってのはどう?

◇市川
ごめん、全然イメージが沸かないや。

■左近
つまり、相手が感じたり考えたりしていることを、自分向きの方法で分かってあげて、その上で相手が喜んで受け入れられるように自分を表現する。これを「ゲーム」として捉えるんだ。
まず論理重視の人は、共感重視の人が感じていることを些細な行動とかのデータから推理して、共感重視の人が思わず同意したくなるような言葉や行動を考えてみる。その際に、相手のバックにある人間関係まで考察するのがコツかなと思う。人間関係あっての共感だからね。
一方で共感重視の人なら、論理重視の人が考えていることの結論を言葉の感じとかから察して、論理重視の人の結論を意見として、その場の空気の中に上手く滑りこませるようにする。その際に、解説動画とかを見て色々な話題について、出てくるであろう問いと考え方と結論について知っておくといい。話題とキーワードがあれば、相手の結論を察するのが楽になるからね。
で、上手くいったら自分にポイントを足して、失敗したらポイントを引いてみる。そういう誰に勝つわけでも負けるわけでもないゲームをやることで、苦痛は減らせると思うよ。

◇市川
お互いの存在を認めた上で、ギスギスせず、協力する。そういう大きな目標を持っていれば、イライラすることもなくなって、皆で幸せになれそうだね。やってみる価値はあるかなぁ。

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<アレ★Club>代表の山下泰春「<アレ★Club>のブログメンバーには共感タイプがいないから、間違ったことを言ってそうで怖い。ロジカルになり過ぎてないかな……」

最近『アレ』編集長になった堀江くらは「でも、ゲーム化という方法はいいと思うよ。組織レベルの話だけど、人間関係をゲーム化して上手くやっているところもあるみたいだし。その意味でこの記事で提案しているのは、個人レベルでのゲーミフィケーションと言えるかもしれない」

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カッコカワイイ宣言! 1 (ジャンプコミックス)

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ゲームにすればうまくいく―<ゲーミフィケーション>9つのフレームワーク

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