同人サークル<アレ★Club>公式ブログ(通称:「アレ★Blog」)

ジャンル不定カルチャー誌『アレ』を作っている<アレ★Club>の日々の活動記録です。

Kindle Unlimitedを使ってみた!~KinU(アンリミ)は出版界を変えるのか?~

★対談者紹介★
▲山下泰春(@yasuharu_are
<アレ★Club>の代表。Kindleユーザー。現在KinUのお試し期間中。

◆永井光暁
<アレ★Club>の事務局長。非Kindleユーザー。どっちかというと紙本派。

◇市川遊佐(@ichikawa_yusa
<アレ★Club>の副代表。非Kindleユーザー。どっちかというと電子書籍派。

 

▲山下
先日、日本でも「Kindle Unlimited」がサービス開始しましたね。世間では「アンリミ」と呼ばれているみたいですが、ここでは分かりやすく「KinU」としときましょう。この前Kindle Paperwhiteを買った私は、早速絶版になっていたゲーテの『タッソー』をダウンロードして読んでいます。ゲーテ最高~!

Kindle Paperwhite Wi-Fi、ブラック

Kindle Paperwhite Wi-Fi、ブラック

 

 
◇市川
まーたこの男は……ところで、KinUって月額980円をAmazonに払うと色んな作品をタダとか安い値段で読めるってサービスだったっけ?
 

▲山下
ちょっと違いますね。「月額980円で読みたい放題」です。完全に無料なので、KinUを使っている間は課金は発生しません。
これ、すごく便利です。普段は買わないような本も気軽に手に取れますし、ネットが通じるところであれば、読みたい本の入れ替えもスムーズにできます。家にWi-Fiが通っていれば、自室でも寝床でもトイレでも読める。
上限の10冊までは本を自由に読めて、11冊目を読もうとすると本を入れ替えないといけないんですが、それもどこでもできるので気にならないですね。
 

◇市川
なるほど。良さげだね、KinU。
 

◆永井
うーん、確かに良さげっちゃ良さげだけど……こういう新しい取り組みはスゴい反面、チョット怖いねぇ。もちろん、消費者視点だとこういうサービスはメッチャ便利だと思うよ。だけどその反面、作り手側の視点に立てば、消費者が「コンテンツを作るには金がかかるんだ」っていう意識を無くしてしまわないか多少不安でもある。なにせ、Pixiv界隈とかでは既に、絵師にタダで絵をせびって断られたら逆ギレした人なんてのも結構出てきてるみたいだし、ね。

 

jin115.com

 

▲山下
似たような事例だと、素人が依頼する場合だけじゃなくて、企業が依頼する場合もありますね。そしてこれは、仕事を破格の安さで引き受けてしまう絵師もいるという問題でもあります。これはこれで難しい問題ですね。

 

matome.naver.jp

 

◇市川
こういう問題が起こるってことは、サービスの裏側でお金がどういう風にクリエイターに回っていくのかが見えにくいことにつけ込む人や、つけ込まれる人が少なくないということを表してるんだろうね。
ところで、そういう「消費者には見えないお金の流れ」まで把握してサービスを使っている人って、どれくらいいるんだろう?少なくともKinUを使っていない僕は、KinUの仕組みについては何も知らないです。
 

◆永井
調べた限りでは、KinUは「初めて読まれるページの数」ごとにクリエイターにお金が回るみたいだね。たくさんのページを読んでもらえたクリエイターは、たくさんお金がもらえる。簡単に言えば、Amazonのキンドル・ダイレクト・パブリッシング(KDP)の、Amazonの取り分が無いバージョンみたいなモンかな。定額の利用料がAmazonの取り分で、それ以外は作家さんや出版社の利益になるって感じ。

 

kdp.amazon.co.jp

 

◇市川
それだと、クリエイターとしては期待も不安も半分半分な感じがするね。いちいち金を払うっていう障壁が無くなることで、コンテンツが読まれやすくなるかな、と思ったりもするけれど、みんな同じ条件だから激しいパイの取り合いが起こる気もするねえ……。もちろん、永井さんがさっき指摘した「支払い意識」の問題もそうだし。
 

▲山下
いずれにせよ、出版業界に大きな影響を及ぼすのは間違いなさそうですね。Kindleが日本で発売された時にも「電子書籍は紙がいらなくなる分、安くなる。紙に依存していた既存の出版業界にとっては大ダメージだろう」とかは言われていました。しかし、今回はもっと根本を揺るがすような大きな変化が、KinUの登場によって起こってくるような気がします。コンテンツの消費の仕方そのものを変えるような。
 

◇市川
というと?
 

▲山下
思うに、電子書籍を含めた「本」というコンテンツの販売形態自体が揺らいできているんじゃないでしょうか。今まで本というのは、一冊一冊バラバラに購入されていました。それは電子書籍でも同じです。
でも、KinUはプラットフォームにお金を払いさえすれば、コンテンツを自由に行き来できる。そしてクリエイターは1ページ単位で利益を上げることができる。これって、バイラルメディアやYouTubeみたいな、広告表示数・クリック数で収入を得るタイプのメディアに似ていませんか?昔に比べて、お金の流れ方がずっと巧妙になっているように思います。
 

◆永井
今まで「本」っていうコンテンツは聖域だったんだと思うよ。これまで本に付けられる価格ってのは「出版社」、「(新書かハードカバーかみたいな)版型」、それと「ページ数」である程度は計算できた。悪く言えば、内容の検討は雑なまま、市場価値が決められてきたってワケ。
でもKinUなら、市場価値はページが開かれる、あるいは開かれないかで決まる。それって、本を買うか買わないかよりもずっと「実際に読むか読まないか」ということを示す指標になるよね。要するに、KinUの登場によって「読まれれば価値が付いて、読まれなければ無価値」っていうシビアな世界が到来したワケよ。
 

▲山下
でも、開かれたページ数勝負となると、これからはプロモーションが上手な人だけが生き残っていく世界とかになるんですかね。「どのページも最後の方は次のページを開かせようと思わせぶりになっている本」なんてイヤですよ僕は……。「ページ数単位でお金が発生するようになったせいでコンテンツの質が低下しました」とかなったら、目も当てられない。
 

◇市川
一定の金額を支払えばコンテンツにアクセスできる、という点だけ見れば、メルマガとか有料ブログと似ている気もするね。でも、メルマガとか有料ブログは、そのコンテンツ内でサービスが完結する点で、既存の「本を買う」という行為と同じだと思う。伸びたブログが書籍化されたりするのも、お金の払い方という意味では、ブログと本が実は割と近いことの証拠かもしれない。
 

◆永井
ともあれ、KinUというプラットフォームができたことで、紙の本を買うことの意味が今より更に薄れるのは間違いなさそうだね。一部の人は「紙の本の方が手触りが良い」とか「紙の本は保存が利く」という理由で紙媒体で読み続けるだろうけど、今よりもさらに少数派になりそう。
 

▲山下
KinUで本を読むハードルが下がるとしたら、出版業界全体のパイはこれから増えるような気もしますね。構図としては「(電子)書籍vsバイラルメディア」といったところでしょうか。
 

◆永井
まぁ、KinUが広い意味で出版業界を救うかどうかは微妙だけどね。KinUに似たようなサービスでNetflixってあるじゃん。定額で映像作品見放題のヤツ。日本ではまだあんまり流行ってないけど、アメリカではスゴく流行っている。でも、このサービスもチョット雲行きが怪しい。

 

japan.cnet.com

 

◇市川
そうね、広い意味での出版業界をKinUが救えるかは、少し厳しい気がする。なんとなくだけど。
ところで山下くん、なんか1冊2万円もするいかがわしい洋書をKinUで落として嬉々として読んでたそうだけど……。

 

www.itmedia.co.jp

 

▲山下
外国のいかがわしい本を読むの、興奮するし勉強にもなって楽しいー!!
 

◆永井◇市川
ダメだコイツ……。

 

 こういうコンテンツはKinU向けかもしれませんね!(By堀江くらは)

 

Kindle for PC (Windows) [ダウンロード]

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『シン・ゴジラ』から感じたリアリティ(感想・雑感・ネタバレあり)

※ネタバレ注意!

★対談者紹介★
▲山下泰春(@yasuharu_are)
<アレ★Club>代表。庵野作品も特撮もほとんど見たことないマン。

△halyuki
『アレ』Vol.1に執筆予定の人。世代直撃だけど庵野作品にも特撮にも関心は薄い。

 

『シン・ゴジラ』のリアリティ

▲山下
先日、『シン・ゴジラ』を観てきました。「現実(日本)VS虚構(ゴジラ)」というキャッチコピーがありましたが、観た限り結構当たってるような気がします。というのも、「ゴジラという怪物=虚構が日本を襲ったらどうなるか」というシミュレーションとしては、かなり的確だったのではないでしょうか。この映画の大半は人間関係、特に国家(政府)の実務レベルでの動きにスポットが当てられていて、実際にゴジラが出てきて街をメチャクチャにする場面はそんなに多くない。最初にゴジラが出てきたシーンが特に印象的で、未知の事象に対してお役所は何も解決できない。
より具体的に言えば、想定外の事態に対する初動が、この国では非常にお粗末であるということを明確に表していました。防衛出動に関する法解釈のやり取りとか、何度も開かれる「巨大不明生物(ゴジラ)に対するナントカ会議」の数の多さやその様子は、目を覆いたくなるほど日本の現実を表していたと思います。

 

△halyuki
確かに、政治家たちが後手後手に周って右往左往しているのは非常に現実的で良かったですよね。担当省庁が決まってなくて、「今からあの巨大不明生物の捕獲・駆除・排除の各パターンでの予測をまとめてこい」という命令に対して、ある人物が「え?どの役所(省庁)に言ってます?」って聞くところとか。ただ、会議シーンの演技の大部分はあまり好きじゃなかったです。誰も噛まない、間を置かない早口が現実的に見えなくて……でもそれは、実際の官僚が早口だから早口で演技させたらしいですね。

 

www.cinematoday.jp

 

▲山下
私は演技は気にならなかったですね。モゴモゴ言ってて何を言っているのか分からない人がいたりとか、その辺は結構リアルだったんじゃないですか。

 

△halyuki
そっかぁ。私は逆にその辺が気になってました。まぁ、そのうちに、街で暴れまくるゴジラの様子と常時変動する情報のために、巨災対(巨大不明生物災害対策本部)が翻弄されまくってて、演技はどうでもよくなってったんですけどね。混乱する日本政府とゴジラの進化で、話がどう転がるのか分からなくなって、凄くドキドキしました。
それに、ゴジラが最初の方でもメチャクチャ強いのに、どんどん進化していって「これ、どこまで強くなっちゃうの?」って怖くなったし、第四形態で飛行機が撃墜された後はもう絶望しかなかった。他にも色々と絶望を感じるシーンがあって本当に怖かった。でも、「怖くなかった」って人もいるんですよね。なんでだろ?

 

『シン・ゴジラ』は「怖くない」?

▲山下
私は第一形態、第二形態が「不気味だな」と思いました。「ゴジラってこんな姿だっけ?」と思って。でも、第三形態から「よく知ってるゴジラ」が出てきたので、むしろ安心しましたね。だからhalyukiさんが言うような絶望感を感じなかった。「怖くなかった」って言っている人は、「よく知ってるゴジラ」が出てきたからそう思ったのかもしれない。

 

△halyuki
最初は「ゴジラなのになんか変なの出てきたな……嚙ませ犬かな、ひょっとしたらゴジラの餌かな」と思ってたのに、第三形態になった時に「なんだお前がゴジラかよ!」って思って安心したのは分かります。でも、ゴジラが進化する生物だってことが確定したのはこの時で、作品の尺的に(野暮な見方だけど)考えたら、「これからまだ1~2段階進化するってこと?こんな強いのが進化しちゃうの!?」って。
あと、『シン・ゴジラ』の場合は「国VSゴジラ」なので、感情移入できる役が無くて、それが他人事を眺めてる感じに繋がって恐怖を感じにくい要因になってるのかもしれない。

 

▲山下
「当事者にならない限り、災害はどこまでいっても結局は他人事」っていう感覚ですかね。まぁ、話の途中からは巨災対の話にスポットが当たっていたので、halyukiさんの見解で正しいと思います。
でも、感情移入できる役、つまり市民の話はむしろ不要だと思いました。国の実務レベルでの動きを追うのなら、別にそこは大事じゃないと思ったし、無理に映す必要もない(避難・疎開する国民や、主人公格の矢口がゴジラが襲った現場で手を合わせるシーンとかはありましたが)だろうと。あくまでもこの作品は「災害に直面した時の日本政府の対応」の話だから、民間人の話とかはむしろ不必要じゃないかな。
というか、無力な市民の視点から感情移入できる話にしようとすると、どうしても「(ゴジラは)僕たちの敵なんだろうか、それとも味方なんだろうか」みたいな見方に話が引き寄せられてしまうんじゃないかな。でも、それはウルトラマンとかガメラとかでやるべきことであって、ゴジラに期待するものはチョット違うように思います。

 

△halyuki
ゴジラの恐怖感って、(未見ですが)1954年の初代『ゴジラ』にはあったんでしょうけど、今の時代だとゴジラはあまりに知れ渡り過ぎたと思うんですよね。だから、劇中のセリフで「戦後は続くよどこまでも」というものがあったけど、2016年になってもゴジラを描き続けてることが、そもそもゴジラの呪縛みたいなものから抜け出せてないことを示唆してると思います。
あと、放射能についての研究成果も知識の広まりも、昔と全然違う中で、この現代でゴジラの怖さを描くのは、結構難しいでしょうね。放射能汚染による病気の怖さとかは、映画で描くには少しテンポが遅過ぎるでしょうし。今は何でも知識が広まるのが早くて、ネットで調べちゃえば済んでしまって、「どうやっても分からない(とりあえずの答えすら見つからない)」ということは少なくなってきたように感じます。「分からない」というのは「怖い」ことに繋がるので、分からないことが少なくなると、自然に怖いことも少なくなるんじゃないかな。『シン・ゴジラ』でも、腰を据えてちゃんと観たり、考察サイトを見てしまえばある程度は謎が解けちゃうワケで、何度見ても怖いということにはなりにくいかも……。

 

▲山下
それも現代病っていう感じはしますよね。現代人にとって「本当に謎が解けたか」は重要じゃなくて、「とりあえずこの解釈で意味が通ると思える」ことの方が大事なんじゃないかな。『となりのトトロ』のサツキとメイの死亡説とかみたいに、都市伝説みたいな形で「怖さ」は残っていくのかもしれない。
まぁでも、既存の考察にあるような「第一形態のゴジラの鳴き声は初代ゴジラと同じ」とか、「このBGMは庵野のあの作品のものだ」とか、皆、考察というか元ネタ探しは好きですよね。私は庵野作品もゴジラシリーズもよく知らないので、鑑賞中は分かりませんでしたが。

 

△halyuki
鳴き声がどうとか聞いても私としては「へぇー」という感じなんですけど、元ネタを知ってると嬉しいものですよね。ただ、BGMはモノラル音源と普通のとで音がバラけてたし、現代を描いた映画にモノラル音源は古臭すぎて合ってないように思いました。

 

▲山下
あぁ、確かに。そこについては、「無理にリスペクトすればいいってもんじゃねーぞ!」とは思いましたね(笑)

 

△halyuki
下の記事では

オリジナル性を保ったまま自然なステレオ音源を得るため、気の遠くなるような作業に取り組んだ。しかし、最終的には庵野総監督の判断で、伊福部楽曲はオリジナルのモノラル音源のまま採用されることになった。

とのことなので、統一を検討してはいたみたいですが、「監督の判断で」ということは、現場がモノラル音源とステレオ音源のどっちも使う方が正しいと考えた結果なんでしょうね。どうせなら全部モノラル音源に統一してくれても……とも思ったけど、それだと4DXなどで観る人が怒る結果になっちゃう……かも。

 

www.cinematoday.jp

 

ゴジラと「共存」するとはどういうことか

▲山下
他に印象的だったのは、登場人物の「日本観」みたいなものですね。さっき触れた「戦後は続くよどこまでも」というセリフもそうですけど、「日本はスクラップ・アンド・ビルドで成長してきた。だから今度も立ち直れるさ」みたいなセリフとか、「この国で好きを通すのは難しい」みたいなセリフとか、妙に説教臭く聞こえましたね。

 

△halyuki
まぁ、ゴジラシリーズ自体が特撮なので……暑苦しい台詞が入るのは仕方ないですよ。「米国の傀儡」とか「かの国は……」とか、日米関係への皮肉もありましたね。ただ、こういう後半で描かれる政府の闘いを「リアル」とか「現実」って言われちゃうと、チョット「うーん……」と。現実の役人や政治家って、こんなカッコイイわけないと思うけどなぁ……と。絶対「あーでもない、こーでもない」と言ってる間に日本壊滅して、政治的駆け引きも何もなく国連案件になってると思うんですよね。いや、だからこそ、エンタメとして熱くて面白かったんですけど。

 

▲山下
まぁ、今の日本の政治体制だと間違いなく壊滅しそうですね……。『シン・ゴジラ』では劇中で「このままゴジラを放っておくと人類は破滅する」みたいなことが言われていましたが、逆に「ゴジラは人類よりも進化した存在なんだ」みたいなことも言われているんですよね。なんていうか、ゴジラが畏敬の対象として眼差されているっていうのは両義的ですよね。ゴジラは災害をもたらすだけじゃなくて、未来へ向かうための鍵でもある、って感じで。

 

△halyuki
なんか、そんなことを劇中の米国側の人が言ってたような。だからこそ安易に核をぶっ放さずに凝固剤で凍結し、「共存」の可能性を探れる道を残したのが良いですよね。

 

▲山下
そういう意味では、最後のシーンは胸熱ですよね。凝固剤で固めるシーンで思い出したんですけど、ゴジラを凍結させる作戦(=「ヤシオリ作戦」)で、意図的にビルを壊してゴジラを追い詰めてるシーンがあるんですが、それがとても印象的です。作品の前半では、「街を壊すのはどうなんだ」っていう意見が大半だったんだけど、後半になってくると、意図的に街を破壊していくんですよね。
聞いた話なんですが、いわく「戦前の日本では建物を意図的に破壊することはしてこなかった」んじゃないかって意見があるんですよ。日本家屋は基本木造だし、しょっちゅう地震とか台風とか火事とかが来るしで、街は定期的に勝手に壊れていく。逆に、欧米だと「建物は人が造ったり壊したりするもの」だった。街が壊れるとするならば、それは王様か何かの計画か、さもなくば戦争のせいだというワケです。

 

△halyuki
確かに、日本だと自分たちで建造物を破壊することは多くないですもんね。一口に「戦争」と言っても、街が無くなるような戦いは江戸時代以降だと太平洋戦争までなかったワケですし。太平洋戦争で街が無くなるのって、空から焼夷弾が降ってきて無くなるワケだから、これも「人が街を壊す」感じは薄かったんじゃないかという気がします。敵軍兵士が「ヒャッハー!殲滅だァー!!」って火を付けて回るようなのと比べたら。

 

▲山下
そう。でも、『シン・ゴジラ』の最後のシーンは、在来線とか新幹線を爆弾として使ってたり、ビルを意図的に爆破して、ゴジラに立ち向かっている。そうして、やっとのことで凍結させたゴジラと共存していくっていうのは、こういう「意図的な破壊」を受け入れていくことを意味しているんじゃないでしょうか。

 

△halyuki
在来線爆弾やゴジラ周辺の建物を使った攻撃は凄く面白かった。実際、今の日本人が、無人とはいえ何かのために「意図的な破壊」を行うのはかなり難しいと思うんですが、戦後のシステムが古びて時代に追いつけなくなってきたこれからの日本には、その覚悟も必要なのかもしれませんね。

 

シン・ゴジラ音楽集

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ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ

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ゴジラ(昭和29年度作品)【60周年記念版】 [Blu-ray]

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 ネットだと「シン・ゴジラはエヴァの前日譚だ!」という声をよく聞きますね。(by堀江くらは)

藤原紀香のブログ炎上から見る「受け入れられる異常」について

★対談者紹介★
▲山下泰春(@yasuharu_are)
<アレ★Club>の代表。気を抜くと抽象的な言葉遣いになって理解されなくなる。

◯市川遊佐( @ichikawa_yusa)
<アレ★Club>の副代表。気を抜くとキツイ物言いになって嫌われる。

www.j-cast.com

遺体の写真を上げたから怒られた、わけではない

▲山下
先日、女優の藤原紀香さんが亡くなった愛犬の写真をブログにアップして炎上しましたね。「不謹慎だ」とか「非常識だ」という批判が出ていますが、どう考えるべきでしょうか。私にとっては、亡くなった愛犬の写真は、かなり綺麗に見えたんですけどね。


◯市川

安らかに眠ってるね。まあでも、動物の遺体とか見たくないって人も多かったろう。

▲山下
最近、この手の話題には事足りませんね。遺体関連で言うと、ツイッターでも友人とか自分の子どもの遺体の写真をアップして炎上するという事件がありました。

matome.naver.jp

【驚愕】DQNの葬式の写真流出…やばい…(画像あり) : NEWSまとめもりー|2chまとめブログ

僕はこの話のほうが藤原紀香さんの話より驚いたんですけど、市川さんはどう思います?

 ◯市川
僕は死んだ人の写真を撮ること自体は心情的に理解できるんだよね。次の日には骨になっちゃうんだし。遺したいって気持ちがあるんだろうね。っで、共感を求めてアップした結果、こういう炎上が起こってしまう。
最近は息苦しいね、何をやってもうっかりすると袋叩きにあう。炎上自体はさ、「小さいコミュニティでちょっと物議を起こしそうな出来事があって、それがツイッターとかを通じてコミュニティの外部に漏れ出て、最後にそれを拡散する人たちが騒ぎ立てて炎上になる」ってパターンが多いわけだけど。最初に疑念を抱いた人が、火に油を注ぐ感じで人を呼び寄せる。著名人は特にちょっとしたことで炎上のタネにされちゃうので息が詰まりそうだね。

▲山下
そうですね、息苦しいってのは分かります。僕は死んだ人の写真を撮るってのは体感的にちょっと分からないですけど。分からないけど、個人的には否定しようとは思いません。いろいろな考え方があるでしょうから、これはこれでそのうち別途ブログにしましょう。

◯市川
ともあれ、実は「死体画像をアップロードした」こと自体は文句のタネになるとは限らないと僕は思うんだよね。だって、ネット上には死体の画像なんて沢山アップロードされているわけだし。どんな写真にしろ動画にしろ、受け手が「見ることはないだろうと思ってたモノが目の前に出てきてビックリする」と、文句があがりやすくなる。

▲山下
記事を見る限り、ブログでは共感するようなコメントも多かったようですし、市川さんの言っていることは正しいと思います。
共感する人がいる一方で、藤原紀香さんの日常を見ようと思ってたらペットが死んだ話を写真付きで見せられたことで、ショックを受けてしまった人がいる。その人が「見ないだろうと思ってたモノを見せられる」のが問題なんですよね。そうやって考えると、今回の藤原紀香さんの事件も、人間の遺体をツイッターにアップした事件も、ショックを起こす仕組みは同じということですね。
これが動物園の飼育員さんのブログとかだったらショックには繋がりにくかったんでしょうね。そこだったら、動物に関する生老病死いろいろな情報が出てくると、みんなある程度予測できる。藤原紀香さんの場合は、ペットはいても、ペットの遺体の写真を上げることまでは予測できない。

◯市川
もっと言えば、惨殺死体だろうがなんだろうが、それを勉強か何か知らないけど、見たくて見てる人は文句を言わないよね。ISISの人質殺害動画とかを見たくて見る人だって、グロいとか気持ち悪いとか思うこともあるでしょう。グロいとか気持ち悪いとか思っても文句を言わない、というケースもあるわけです。
何が出てきても期待していたモノ見たかったモノだったら文句は出ないし、期待してないモノ見たくなかったモノだったら文句が出るってことだね。どんなコンテンツも、怒られるかどうかは見る人が期待していたか期待していなかったかで決まる。

▲山下
見る人の期待に沿ってる限りは受け入れてもらえるわけで、そういう意味では「ネットのせいで不自由になった」とは言い切れないわけですね。実際、僕のマイナーな趣味とかもネット上の然るべき場所に行けば簡単に楽しめるようになりましたし。
最近は「人を不快にさせる恐れのあるものは、ネットには公開してはいけない」という雰囲気を感じてて、何をやっても怒られるんじゃないかっていうと息苦しさを感じてたんですけど、そう考えるとちょっと気がラクになった気がします。

ネットで受け入れてもらえる異常、とは

◯市川
「見る人の期待に沿っているコンテンツは受け入れられる」ってのはニコニコ動画とかで「この発想はなかったwwww」みたいに皆が盛り上がってる動画とかでも同じ。あれだって、予想した範囲の狂気がウケている。使われてるネタだって大抵は「テンプレ化された狂気」でしょう。ちょっと古いけど広い知名度を得たものでいえば「真夏の夜の淫夢」とか。こういう「テンプレ化された狂気」をほどよく調理するとウケる。あるいは狂気をテンプレ化できる形で提示できるとこれもウケる。そういうネタが次の時代のテンプレになる。

▲山下
ネットを使う人は事前にある程度予想した範囲内での予想外を期待しているんですね。そして見る人のそういうストライクゾーンに入るネタを投下できる人が評価してもらえる。つまり相手と想像している範囲をうまく共有できる人がネットを楽しめるんですね。供給者側も需要者側も。

◯市川
逆に言えば、互いの想像を利用しあうこの共犯関係さえ踏まえていれば「面白い」コンテンツとして受け入れてもらえる。相手の想像を読み合うゲームなんだよね。相手の想像と自分の想像が噛み合うかどうかだけが大事だから、想像の外側、現実のことなんかどうでもいい。ていうか現実なんて邪魔なんですよ、コンテンツにとっては。

▲山下
自分と相手が共有している想像の世界に「酔ってる」わけですね。そしてこの「酔い」を覚ますようなことをしてはいけないと。

◯市川
そう。藤原紀香さんも、芸能人のブログ記事でそういうこと書いたら一部のファンがビックリするのは分かりきった話だったと思うんだけど、すごく悲しくて、それを誰かと共有したかったんだろうね。でもそういう生々しい現実を受け止められるファンばかりじゃあなかっただろうね。

▲山下
でも、ネットって「見たいモノを見る」ためのツールですよね。犬の遺体とか人間の遺体が上がっていても、別にスルーして他のモノを見ればよかったのでは?とも思います。

◯市川
いやいや、「見たいモノを見る」ためのツールだからこそ、期待も高まるし無防備にもなっていたんでしょう。好きなものを見ることだけ考えてウキウキしていた人は、ビックリするようなものを見たらスルーなんか出来ないよ。

▲山下
なるほど。ネットって、相手の期待を普段以上に繊細に考えて自分を出していかないといけない場所なんですね。街中ですれ違う人に僕たちは大して期待していない一方で、ネットでは何かを期待してどこかのサイトやSNSにいくところからスタートします。だから街中で変な人がいてもスルーしやすいのに対して、ネットで見かける人がおかしなことをすると普段以上に気になる。こういう仕組みがあるんでしょうね。ネットはネット以前にあった公共の場よりも、期待が先立つ分だけ注意深く振る舞わないといけない場所なのかもしれません。

◯市川
そうね。ネットで自分のありのままを素直に出してはいけない。不思議な感じがするけど、みんなの想像」っていう「現実じゃないモノ」こそが、僕たちがうまく渡って行かないといけない「現実」なんだってことを踏まえて発言しないといけないね。

▲山下
でもネットは「見せるべきものを見せる」っていう使い方もできますよね?市川さんのほうが詳しいと思いますが、機械学習とかで重要な情報をピックアップして見せるとか。そういう使い方はごく一般的なネットユーザーの間ではあんまり流行らないみたいですけど。

◯市川
まあ「見るべき」モノより「見たい」モノの方が、義務より願望なぶん当然強いからね。やっぱり酔うためにネットを使っている人が多いわけだね。だからGoogle検索も数年前から同じ単語で検索しても人によって違う結果を見せるように変わったんだろうし。僕なんかGoogleMaps開くといつもどこに二郎があるか表示されるよ(笑)
山下くん、気分が滅入っちまったし、これから二郎行こうぜ。

▲山下
それ、僕のお腹の調子が悪いって分かってて言ってます?(怒)公共性がないなあ!

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ネット炎上の研究

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 いくら配慮しても燃える時は燃える。

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 機械学習ワナビーを抜け出したかったら王道はコレ。難しいからサラッとは読めないぞ!

人への勧め方のコツはまず「遠回り」~あえて「そのもの」を紹介しないという紹介法~

★対談者紹介★
▲山下泰春(@yasuharu_are)
<アレ★Club>の代表。カラオケの十八番は中島みゆきの「わかれうた」。

◯市川遊佐(@ichikawa_yusa)
<アレ★Club>の副代表。歌手のOrigaが亡くなって悲しんでる。

人それぞれは「もったいない」?

▲山下
この前、友人に「見た目がヤンキーのクセに中島みゆき聴いてるとかウケる」って言われました。別にそれだけだったらまだ良かったんですけど、その後続けて「でも人それぞれだからな。お前はそれでいいと思うぞ」と勝手になぐさめられました。

◯市川
いきなり突っかかってきて勝手に納得されるの、された方はたまったものじゃないよね。

▲山下
で、いざ「見た目がヤンキーで中島みゆき聴いてたら何がアカンねん!」って聞いたら、その友人はハッキリした理由も教えてくれないまま、話が終わりました。それで、思ったんですが、今回の私の件に限らず、「人それぞれ」を理由にして、話を終わらせようとすることってよくありますよね。

◯市川
特に趣味とか性癖の話って、自分が受け入れられないものに関しては「人それぞれだから」と言って、話を終わらせにかかる人って結構いる。まあ、そもそも趣味とか性癖ってある程度「共通のもの」を話すから、「みんな違ってる」っていうことを前提に話すもんじゃないとは思うけど。

▲山下
私は人の趣味とか性癖に影響受けやすいタイプの人間なので、知らないジャンルの話になったら結構グイグイ聞くんですよね。僕みたいなタイプの人間からすると、「人それぞれ」で話を終わらせられるのは、なんかもったいないなと思います。

あえて「そのもの」を紹介しないという紹介法

 ◯市川
え、そこグイグイいくんだ。話を続けたくない人に「もっと話そうぜ!」ってやってもダメなんじゃないの?趣味も性癖も「共感できないな」と感じた人はそこから離れようとするもんでしょ。警戒心を持たれたらその場は引かきゃダメだと思う。

▲山下
まあゴリ推ししてもいい結果にはならないですからね。でも裏を返せば、共感できるところがあったら、人に勧めてみてもいいのかな。なんか新興宗教くさくなりますけど、「この歌手聞いてるんだったら絶対この歌手もハマる!」と思ってるものがあって、それについて話すタイミングがあれば人に勧めてもいいと思うんですよ。

◯市川
それでも、勧められるのは入り口部分までだとは思うけどね。実際それを見たり聞いたりしてくれる保証はないよ。人にものを勧めるときは、これをわかった上でしないとダメだよ。

▲山下
分かりました……。で、実際のところ、どうやって人にモノを勧めればいいんですかね。

◯市川
人に何かをオススメするときの方法として「あえて『そのもの』は紹介しない」っていうのは効果的だよ。たとえば、『音楽そのもの』じゃなく、歌い方に面白い特徴があるとか、バックコーラスが変な動きをしてるとか、そういう感じのモノの勧め方ってのはあると思うよ。

▲山下
ちょっと遠回りするんですね。確かに、私がウチのサークルの永井(光暁)さんにMLPっていうアニメを勧めたときは「音楽がいいんですよ」と言って勧めました。しかも、MLPのファンオリジナルの音楽を。

www.youtube.com

すると、いつの間にか永井さんは「フラッターシャイ(MLPのキャラ)はいいぞ」と言うようになっていました(笑)

◯市川
つまり、音楽を勧めたかったらリズムとか歌詞以外のもの、例えば面白いPVを紹介したり、アニメだったら作画とかストーリー以外、例えば音MADとかを紹介してみると効果的かも。まあ性癖の話となるとちょっと難しいけど(笑)。でも、取っ掛かりが多い方がいろんな人に勧めやすいのは間違いなさそうだね。

▲山下
他にも、後輩に「YMOっていうテクノバンドの偉い人がいるんですけど、ライブでメンバーが誰一人顔を合わせないことで有名で、面白いんですよ!」っていう風に、音楽とは違うところから勧められて、今どハマりしてますね……。

www.youtube.com

◯市川
山下くんがテクノとかそういう音楽を好きなのをわかった上で勧めてるんだろうね。その後輩、すごく頭が冴えてる。

▲山下
なるほど、こうやって勧めるんですね!じゃあ市川さんはクラシックが好きでしたよね。それもガチガチの。実はテクノもガチガチに練られた曲が多くてですね……。

◯市川
おっと、その手には乗らないぞ!(笑)

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★山下オススメの品

www.youtube.com

「UNI-CUB β」という、セグウェイみたいな機械に乗ってダンスする、っていうミュージック・ビデオ。Perfumeが登場したり、撮影をドローンで行なったりと、隅から隅まで力の入れ具合がすごい曲。途中から傘を開いたり閉じたりするパフォーマンスが始まるんだけど、最後のシーンは圧巻ですよ!

★市川オススメの品

tabelog.com

いわゆる二郎インスパイア系のラーメン屋なのだが、とにかく麺がうどんのように太い。そして硬い。スープも濃い。二郎系はちょっと……という人も「ミニラーメン麺半分」で一回行ってみると他ではお目にかかれないモノを体験できてイイかも。

 

 他人の影響じゃなく、霊の影響を受けやすい人はぜひ。これ買った人は人の影響を受けやすい人です。

 

僕の彼女を紹介します [DVD]

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紹介すんな(真顔)

人文系よ、SF系になれ!~今の日本に足りない想像力の話~

★対談者紹介★
■堀江くらは
<アレ★Club>のゲーム礼賛な文系男子。いまさら『Civilization V』にハマりはじめた。

●市川遊佐
<アレ★Club>の技術礼賛な理系男子。『Hearts of Iron 4』をやりたい。

 

1.おもしろく生きるには自信とリテラシーが必要

■くらは
この前、腐女子の人がした「目の前で男同士が手繋いでる!」ってツイートに「そんな男いねーよw」って嘲笑するマンガが2chまとめとかで話題になったでしょ。でも「目の前で男同士が手繋いでる」くらいのことは、実際に街をウロウロしてれば結構見かけるんだよね。
あと、それと同じような話で「マクドで見たんだけど」系のツイートは作り話だって風潮もあるけど、僕はマクドナルドで風俗嬢が突然彼氏の兄ちゃんと殴り合いを始めるのを見たことがある。

 

●市川
他の人が言うことを自分の常識で「そんなことあるワケないだろ」って根拠もなく否定する人、最近よく見かける気がするね。僕が思いつく話でいえば、数年前あたりに「はるかぜちゃんは実は本人じゃなくて大人が操作している説」を根強く支持してる人たちとかいたよね。本当かどうかは俺も分かんないけど、はるかぜちゃんくらいのことができる女の子なら、珍しくてもおかしなことではないと思う。でも、世の中には「そんなの絶対嘘に決まってる!」って立場の人も結構いたようだね。

 

newskenm.blog.fc2.com

 

■くらは
自分の常識で物事を即断するのが一番楽だからね。常識に頼れば、少なくとも不快なものを簡単に遠ざけることはできる。それにオイシイ話が嘘だってケースも多いから実利もある。もちろん、「嘘みたいだけど本当にオイシイ話」を目の前にしたときは、それをおめおめ見逃しちゃう原因になるから、おもしろい人生を送りたかったら取るべきスタンスではないよね。

 

正常性バイアス - Wikipedia

 

●市川
常識と違う自分の考え方を根拠にして生きるのって不安になるしね。間違ってたら損するのは自分なんだから。自分の意見を持って、しかも自分の意見に自信が持てないと無理
これは自分の体験談なんだけど、子供の頃から周りの人が読まないような本やテレビを読んだり見てたりしたからか、その当時から周りと違う意見を言うがことが多かったんだよ。そのせいで、初対面の人からは「変なヤツ。お前ってバカだろw」ってよく言われてきた。でも、しばらくすると結果的に俺の方が正しかったってことが分かってもらえて、すこしずつ周りから信用してもらえるようになった。それで自分の意見に自信が持てるようになったんだよね。

ここでもし、周りの人が読んだり見たりしないようなコンテンツに触れてこなかったら、俺は自分の意見なんて持てなかったと思う。それに、自分の方が正しいということを示せてこれなかったら、自分の意見に自信も持てなかったと思う。

 

■くらは
普通の人はそんな経験しないからね。普通に生きてきた人は、普通でないものを否定してれば、何も考えることなく平和に過ごせるもの。
その中でも自分にとっておかしなモノが実は正しかったって経験がない人が、おかしなモノを見たら否定する人になるんだろうね。かといって、おかしなモノについてちゃんとチェックする能力もないのに憧れちゃうとすぐ疑似科学とかにハマっちゃうでしょ、なんとか水とか。それと比べたら「自分には関係がない」というスタンスくらいの方がイイのかもしれない。

 

2.技術アレルギーと、道徳の正体

●市川
それと関係してくるのが、普通の市井の人だけじゃなくて、人文系の人にも強烈に染み付いている「技術アレルギー」だと思うんだよな。最近だと人工知能が話題だし、俺らが思春期だったゼロ年代前半の頃にはバイオテクノロジーとかが話題だったワケだけど、いつの時代も、多くの人はこういう技術を怖がったり嫌がったりするんだよね。

 

roboteer-tokyo.com

 

そして、大抵の人は「現状維持」の立場につく。「現状維持」自体はローリスクだから、決断としてはアリだと俺は思う。けど、なぜか新しい技術が生み出すかもしれない未来を、道徳に結び付けて頭ごなしに否定しちゃう人がいるんだよな。「不自然だからダメ、悪い」とか。納得ができない。ずっと分からないままだ。道徳に結びつける人は何を考えているんだろう?

 

■くらは
それも「なぜ常識からかけ離れた話を否定する人が多いんだろう?」って話だね。ちょっと彼らが何をどう考えているのか、想像してみようか。
まず、誰でも新しい技術を見ると真っ先に「得体のしれないものが現れた!」ってなるよね。ここで、普通の人は生き物がどういう仕組みで生きているのかよく知らないし、どこまでがいまの科学で分かってるかも知らず、そもそも科学がなんなのかすらよく分かっていない人も多いってことを思い出して欲しい。こういう人は、「生き物」っていう存在をどう捉えていると思う?

 

●市川
人によっては「神様がつくった」とか「魂が入って動かしている」って考えることで納得しているんじゃないかな。神様の存在も魂の存在もおいそれとは否定できないけど、すくなくとも神様とか魂を「分からないものを説明するための、この世を超えたモノ」として使ってる人はいると思う。
……というか、突き詰めると最終的には「とにかくそうなっている」って思うか、「何かがちゃんと動くようにしている」って思わないと納得できない仕組みになっているんだな。科学者だって最終的には「とにかくそうなっている、らしい」ってとこまでしか行けないし。まあ、科学者は科学の成果を「人が想像しただけのモノ」だって考えていて、「絶対に正しい!」とは思っていないのが特徴だと思うけど。

 

■くらは
そうでしょう。自分の身体とか世の中の法則とかを「とにかくそうなっているんだ!」とか「何かがちゃんと動くようにしているんだ!」って信じている人から見ると、科学者ってその辺に土足で踏み込んでくる人に見えるんじゃないかな。

 

●市川
「とにかくそうなっているんだ!」って信じてる人とは話し合いができないんだよね。「何かがちゃんと動くようにしているんだ!」って言葉ともあわせて、なんか子供の頃のことを思い出したよ。むかし援助交際のニュースが流れた時に感想を求められて、内心「何が悪いのか分かんないなあ」って思ってたんだけど、そう言って怒られるのも嫌だったから「親から貰った身体を汚すのはよくないよね!」って心にもないこと答えたんだよね。正直に思ってる疑問を言っても議論にならないと思ったから。そしたら褒めてもらえたよ(苦笑)

 

■くらは
そう、ちょうどそれ(笑)「あるモノ」をどうするか決めるのは、そのモノを作った「他人」か、あるいはそのモノを持ってる「自分」のどちらかだよね。ここで、「このモノをどうするべきか」っていうルールの決定権は「他人」にある、って考え方が道徳なんだよね。
神様か何かが決めた「とにかく、これが正しい」ということになっているルールが道徳。たとえば「人をどうして殺してはいけないのか」という質問に、「いけないから、いけないんだ!」って答えるのは道徳的な答え方だね。この答えが正しいか正しくないかに自分が関わる余地がないから。

 

●市川
なるほど。「人間の身体とかには、それをどう扱うべきか人間には口出しできないルール、つまり道徳があるんだ」って思っている人なら、自分が理解できないことをしている人を「ルールを破りかねない人」って認定すれば、安心して道徳で手足を縛れる。「技術アレルギー」が生まれる典型的なパターンの一つがこれなんだろうな。
ついでに言うと、僕は生命倫理とかで「尊厳」を持ち出す議論も、結局は見た目だけ哲学っぽく偽装した道徳だと思ってるんだけど、これは脱線しちゃうからそのうち別の機会で。

 

3.SFを読んで技術アレルギーを予防しよう!

■くらは
ところで、冒頭の方で市川くんが「自分に自信がないと常識から離れられない」って言ってたのと道徳の話が繋がってるのには、気がついてた?常識も道徳も自分以外が作った決まりに従う仕組みなんだよ。

 

●市川
あ、ホントだ。じゃあ自分でルールを考えて、そのルールに自信を持てれば「技術アレルギー」は解消できるのかな?

 

■くらは
根拠もなく自信はつかないでしょ(笑)ちゃんと自信を持てるような体力を付けさせることが先決。僕はSFを読むことで技術や人間について自分で考える自信をつけられると思うよ。
元は「どういう仕組みでどんなことが出来るのか分からないモノがあって、それをどう使うか分からない怪しい人たちがいる」って思っちゃったのが原因でしょう。だから、技術や人間について幅広く知識をつけたり考える練習をすれば、原因になっている「分からない」を大幅に削減できる。分かれば分かるだけ、道徳に頼る必要性が下がるからね。

まあ、僕が本好きだからSFを推してるっていうのもあるんだけど。でも最近、神保町の古本屋で働いている友人とそんな話をしたし。

 

●市川
「ジョブスやゲイツはSFが好きだけど、日本の経営者はSFを読まないから駄目だ」みたいな意見もよく聞くし、SFは確かに人が技術についてのびのびと考えられるようになるきっかけになりそうだね。

 

■くらは
日本の経営者に技術オンチが多いっていうのも、経営者も多くは技術が社会にどう浸透していくか想像するのに慣れていないせいかもしれない。もちろんSFだけがリテラシーを身につける唯一の手段じゃないわけで、たとえば技術史を勉強していれば「技術の世界は数年経てば別世界」ってのが当然だと分かるから無為無策ではいられないはず。でもそうなってない会社が多いってことは、SFだけじゃなく技術史とかもあんまり注目されてないんだろうなあ。

 

●市川
ちなみに、SFを読まないってのは理工系の人も多くはそうだね。で、彼らに自分たちがつくる技術で未来の社会がどうなるかについて語らせると、案外苦虫を噛み潰したような顔をする(笑)理由を聞くと、これまでの社会で常識だったことが揺り動かされるのが怖いだとかいう理由を結構な人が挙げるんだよ。つまり理工系の人にも「技術アレルギー」はいるのです。
……そういう学生には「いったいどういう責任感で理工系やってんだ!」と一喝するけど。科学者&技術者が社会のことを考えるべきか否かについては議論が分かれるところだと思いますが、社会のことを考えない科学者&技術者は少なくとも無責任だと詰られる覚悟くらいはすべきでしょう。

 

4.日本のSFはバラエティ番組みたいな話が多いからオススメしにくい

●市川
理系のふがいなさを丸投げするみたいでちょっと格好悪いけど、技術のもたらす希望も危険も人文系の人が考えることだと思うんだけどね。技術と人間との関わりが問題なんだから。でも今の人文系は「技術を抑圧する」のに終始するのが主流に見える。技術がもたらす危険しか見えていないんじゃないか。しかも僕が見た限り、その「危険」が良くないとされる理由は「これまでの社会の常識を壊すから」という道徳レベルのものが主流に見える。
ちゃんと技術のもたらす希望と危険を冷静に考えられるようにするにはどんなSFから読めばいいとかってあるかな?後輩とか周りとかにそれとなく布教していきたい。

 

■くらは
うーん、オススメのSFとなると、わりと日本のSFは薦めづらいものが多いと思ってるんだよね。これ言うといま日本のSFの「主流」が好きな人からボコられそうですごく怖いんだけど(笑)でも言う必要があると思うから言おう!

 

●市川
ホント、オタクが叩いてくるのは怖い。俺もオタクだけど。今はネットで感想を言うのもおっかなびっくりな時代だよね。そういう圧力がジャンルをしぼませるんだと思う。で、日本のSFはどのへんが薦めづらいの?

 

■くらは
さっき「SFは技術や人間について考える役に立つ」って言ったけど、日本のSFは技術や人間の可能性を限界まで考えぬく姿勢を途中で捨ててしまった感が否めないと思うんだよね。
人間ってさあ、どうしても異世界を考えるでしょう。どうして自分の目の前に開けている世界が「こう」なのか疑問を持つ。小さな仮定では「もし生まれがもっと金持ちだったら」とかだけど、それを大きくしていくと「もし外国に生まれていたら」とか「もし法律が今とは違うものだったら」とかになっていく。
こうして仮定をどんどんレベルアップしていった限界が、ファンタジーとかSFだと思う。タイムマシンが出てきたり、人間の理解力を超えた宇宙人がでてきたりね。もっと極限まで突き詰めていくと哲学の域に入ってくる。人間が認識できないところで世界は動いているんじゃないかとか、その人間の認識を超えたところにアクセスする技術が出来たりとか。

 

●市川
脳を手術したら人間のときには分からなかったことが分かるようになる、みたいな話だね。たしかに日本のSFで受けがいいモノは「仮定のレベルが小さいモノ」や「仮定が人間とか世界の原則までは踏み込んでこないモノ」がメインだと言えそうだね。例えば『日本沈没』は「既存の科学的な枠組みの中で地震を起こして社会を騒がす」モノだから前者。星新一短篇集は「謎のギミックを唐突に置いて社会を騒がす」モノが多いから基本的に後者。
確認だけど、くらはさんが言っているのはスケールのデカさとは別だよね?例えばスター・ウォーズとかみたいなスペースオペラは、フォースとかタキオンとかの不思議系ギミックがある以外は、驚くほどこの世界そのまま。「遥か銀河の彼方」とは思えないアットホーム感はむしろ海外旅行のノリに近い。

 

■くらは
うん。で、そうした小さい仮定と戯れていても、技術や人間について考える経験値ってイマイチ貯まらないんだよ。「スペキュレーティブ・フィクション(思弁的小説)だけがSFじゃねえ!」って声が聞こえて来そうだけど。
でも僕らは異世界について考えてしまうし、考えなくても異世界はやってくるんだから、異世界については真面目に想像し続けるべきだったと思うんだ。「事実は小説よりも奇なり」な現実がどんどん現実のものになってきてるし。そのうち太陽も滅びるわけだし。でも日本ではそういうのはウケなかったみたいだねえ。仮定が大きくなりすぎると話が分かりにくくなるんだろうね。実際、バラエティ番組的なノリで読めるものじゃなくなるから。

 

●市川
ナイーブな異世界願望に批判的になるためにも、異世界について考える体力をみんな鍛える必要があったとは僕も思う。現実から願望のおもむくままに遊離した結果がオウムであったわけだからね。アレは現実から遊離しすぎて、自身の体制維持すらままならなくなった組織だったと言えると思う。武力路線に突き進んで外側の社会と衝突したのも、元はといえばオウムがオウム自身の「日本を我が物にする」という幻想の自重に耐えられなかったからでしょう。組織の重力崩壊。

 

www.youtube.com

 

ちなみに仮定が大きなSF、僕は大好きですよ。特に僕は人間の五感が乗り越えられるみたいな話が好きです。五感を使った認識形式を身体を改造することで越えていく、みたいなSF。超越論哲学的SFなんて言えるかもしれない。だから理系やってるんですけど。ああそうか、日本のSFは超越論哲学になるのに失敗したんだ。それと並行して、日本の超越論哲学もSFになるのに失敗したんだろうな。

 

areclub.hatenablog.com

 

■くらは
人間の五感をいかに超えるかってのはまさに日本のSFが失敗したポイントだね。ガンダムシリーズなんか典型的だと思う。ガンダムシリーズでは人間は宇宙に進出した結果、いろいろなモノを察知・把握する能力が大幅に強化された「ニュータイプ(NT)」に変化するわけだけど、そのNTの察知・把握が人間的すぎる。「分かり合う」シーンは結局他人の経験をトレースできるだけだし、空間認識能力とかも人間の能力をそのまま強化しただけに見える。
その結果、『Zガンダム』で「NTも人間だったね」みたいな落とし所になって、『∀ガンダム』で「人間ってこんな風に死ぬよね」ってお話に終わってしまったんだと思う。ヒューマン・ドラマとしてはそれでいいと思うけど、人間の世界を認識するやり方を超えるのに失敗した感が否めない。
……まあ、人間の五感を超えるものを描くって企て自体が、パノラマ映像を使って「馬の視界を体験しよう!」とするくらい、ナンセンスなことではあるから仕方ない面もある。270度の視野を135度に圧縮しても、人間は結局135度の視野を見ているだけだ。視野が270度に伸びるわけではない。

 

●市川
で、その後に来たのが『機動戦士ガンダムSEED』なんだよね。SEEDは当時の世相も反映してバイオネタだったわけだけど、人間の五感を超えるかどうかみたいな認識論的な要素は後退しちゃったように思う。
……じゃあ、海外のSFを読むしかないのかな?

 

5.いいSFを掘り出して読もう!

■くらは
日本のSFは失敗だとか言ったけど、でももちろん全ての作品がダメなわけでもない。他のフィクションに吸収されていったSF的な要素もあるしね。
良い古典を紹介しつつ、時代に合わせて想像力を膨らませていけばいいと思う。僕はやっぱり「宇宙」に目を向けるのがいいんじゃないかと思うな。市川さんは?

 

●市川
僕は断然「バイオ」ですね。人外モノ大好きです。日本が中国にバイオテクノロジーで敗北しつつある背景には、まさに人々の「科学アレルギー」もあると思う。日本は早々にキツイ法規制を敷いちゃったからね。あとは「核融合」も早く実現して欲しい。難しそうだけど、これがないと人類は滅びるんじゃないかなあ。核融合が実現したら宇宙に行くのも容易になるかも。
……ともあれ、古典を数個紹介して締めようか。

 

■くらは
そうしよう。日本のSFよ、復活せよ!そして人文系よ、SFになれ!

 

果しなき流れの果に (角川文庫)

果しなき流れの果に (角川文庫)

 

 市川オススメの一冊。人間の認識が生体に縛られているという点を基礎にして、ぬめぬめとしたバイオ的描写と認識の可能性についての思弁的探求とを強引に推し進めていくような作品。小松左京の最高傑作だと思う。同様の作品に短篇集『神への長い道』があるのでそれもオススメ。

 

生殖の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)

生殖の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)

 

市川オススメの生殖技術に関しての倫理学的な哲学書……だが、SF論も多く含んでおり、この本自体の中でもSF的な想定が多くされている。バイオテクノロジーの観点のみならず、法学的な観点も含んで野生的に思考が展開されている。著者の非常に革新的な立場も、この世界を根本から問いなおすという本ブログ記事での哲学とSFのスタンスを体現している。

 

タイタンの妖女 (ハヤカワ文庫SF)

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  • 作者: カート・ヴォネガット・ジュニア,和田誠,浅倉久志
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2009/02/25
  • メディア: 文庫
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くらはオススメの一冊。とりあえず読め。以上。

 

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 1 [DVD]

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イノセンス スタンダード版 [DVD]

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 くらはオススメのSF作品。SFアニメの中でも多くのファンを持つ名作だ。未来のことを考えたとき、「あれ、これって攻殻の世界に近づいたんじゃね?」と思うことがよくある。ゴリ……素子よりタチコマの方が可愛い。