同人サークル<アレ★Club>公式ブログ(通称:「アレ★Blog」)

ジャンル不定カルチャー誌『アレ』を作っている<アレ★Club>の日々の活動記録です。

【『アレ』Vol.1に掲載します】落合陽一先生にお話を伺ってきました!

★対談者紹介★
●市川遊佐(@ichikawa_yusa
<アレ★Club>の副代表。主な関心分野は高速計算。

■堀江くらは(@kuraharu
<アレ★Club>WEB担当。本職はライター/編集者な人。主な関心分野はゲーム。

 

1.メディアアーティスト・落合陽一先生とは

●市川
僕とくらはさんで、7月7日(木)に『アレ』Vol.1のインタビュー企画として落合陽一先生にインタビューしてきました。現在、落合先生は「魔法の世紀」を掲げたメディアアーティストとして多岐に渡り活動しておられ、「現代の魔法使い」として多くの雑誌やメディアでも取り上げられています。

落合先生の代表作としては、超音波を使って塵を浮かび上がらせ、コンピュータで自在に制御することで3Dディスプレイとして機能させるという「Pixie Dust」が挙げられると思います。

 

Pixie Dust: Graphical Levitation System (2014-)

www.youtube.com

 

これらの刺激的な作品はただ落合先生が「人を驚かしてやろう」とだけ思って作ったものではありません。落合先生の作品の背後には、落合先生の未来に関する思想が秘められています。その思想を落合先生は、ご自身の著書である『魔法の世紀』と『これからの世界をつくる仲間たちへ』で書かれています。

その落合先生の思想のテーマが、技術と自然が混ざり合う「デジタルネイチャー」の時代です。これについて簡単に説明すると、まず、19世紀から近代科学が発達してきて、世の中からどんどんと分からないことがなくなっていきました。世の中から神秘がなくなっていったんですね。これが「脱魔術化」です。しかし、20世紀後半になると科学を使った複雑な技術が世の中を覆っていきました。その結果、人はまた世の中の仕組みがよくわからなくなりました。科学者でさえ、その全貌を把握できている人は少ないと思います。これが「再魔術化」です。再魔術化が進むと、世界ではどんどんと不思議なことが簡単に出来るようになります。それが21世紀である「魔法の世紀」だ、というのです。魔法の世紀では、これまでの常識とは違ったことが色々と出来るようになると考えられます。落合先生はそれについて研究をしていらっしゃいます。

 今回の僕たちのインタビューでは、落合先生が著書で書かれた未来予想についてじっくりと質問させていただくことで、未来に起こるであろう不思議なことについてイメージを膨らませることができたと思います。

インタビューを終えてくらはさん、ご感想の方はいかがでしょうか?

 

■くらは
取材の後半あたりから話の内容がSFチックになるに連れて、落合先生のテンションが上がっているっぽかったのがとても印象的でした。未来のことを考えるのが本当に好きなんだなあと感じました。

あと、これから市場に売るっていう製品版の「Pixie Dust」も見せてもらえたのはラッキーでしたね。下の写真の落合先生が持ってるベレー帽みたいなやつ。これを使うと超音波で塵を浮かせられる。もちろん、塵の浮かせ方はコンピュータで制御できる。けっこう欲しいです。

 

●市川
僕も欲しい。色々と出来ますよコレ。お金貯めよっと。

 

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2.「心を動かす」ってなんやねん!

■くらは
……ていうか市川さん、当初の僕らのインタビューの趣旨は「未来のイメージを膨らませること」じゃなかったでしょ(笑)言いなよ。

 

●市川
は、はい……実は企画立ち上げ当初はですね、落合先生が「心を動かす計算機」って言葉を使っていらっしゃるのをメディアで見て、それで反射的に思ったんですよ。「ワイみたいに『よーし、みんなの心を動かすでー!』って行動したらキモがられるだけの人間もおるんやぞ!」って(笑)というわけで、「『心を動かす』ためにはどうすればいいでしょうか?」って質問を中心にインタビューを立ち上げたんです。具体的には、「ちゃんと研究のプレゼンスを向上させて、社会の理解と共感を集めるにはどうすればいいんだろう?」っていう質問をしました。これはどの研究者も苦労していることですが、こちらに関してもとても具体的なご指南を沢山いただけたました。これも記事に掲載予定です。理系必読やで(笑)

 

■くらは
「心を動かす」といえば、市川さんがアートについてよく分からないので聞きたいと思っていた、というのもインタビュー立ち上げの動機にはあったよね。でもそんな市川さんも、事前準備として『魔法の世紀』と『これからの世界をつくる仲間たちへ』を読み出したあたりから急に「落合陽一、すごいぞ」って言い出した。本に書き込むだけでなく、ノートもバリバリ取って読んでたもんね。

 

●市川
そうですね。アートについて言えば、そもそもアートって言葉で僕がイメージしていたようなスタンスでは落合先生は作品を作っていなかった、というのが驚きでした。20世紀後半のアートだと、便器とかテレビとか置いて、それについて「これは○○を象徴していてそれが云々」っていう難しい批評がついてくる……みたいなのが多かった。僕は、アートって言葉でそういうのをイメージしちゃってたんですよ。でも、こういうアートには落合先生は懐疑的なんです。

落合先生は、20世紀後半に流行ったこういう「文脈のアート」よりも、人間の根っこにあるような部分を刺激する、アッと驚く「原理のアート」の可能性に注目していらっしゃる。『魔法の世紀』の中では「匂いだけ共有するデート」とか「うなずきん」とか、確かに人間の根っこを刺激するようなモノが例としてたくさん挙がっていました。

 

うなずきん NatureVer. Star

うなずきん NatureVer. Star

 

 

最初僕は「心を動かす計算機」ってなんやねん、って思ってたんですが、本で紹介されているこういう作品を見ると、確かにこれは人間の根っこを刺激する「原理のアート」だなって思ったんですよ。

 

■くらは
原理のアートについての話は、VRとかを中心としたこれからのゲームに注目している僕としても刺激的だった。VRについて落合先生がどう思っているかとかも聞けたよね。あれも記事にする予定でしょ?

 

●市川
します。簡潔だけど、未来を考える上で避けて通れないご意見を聞けたと思っています。

 

3.政治・仕事・友情・愛・人間について

■くらは
他にも、落合先生の思想についての疑問点をたくさん踏み込んで聞けたよね。落合先生が出ている他のインタビュー記事とかまではチェックしきれてないけど、市川さんはかなり攻め込んだ質問をしていたように思う。

 

●市川
落合先生の言葉を借りれば、人は「魔法をかける人」と「魔法をかけられる人」に分かれていくという話だったので、まずそうした未来での政治のあり方について質問してみたかったのです。SNSやGoogle検索などのWebサービスは、基本的にはユーザーにとって快い意見を優先的に見せてきますからね。その結果、世界のありのままを見るのがどんどん難しくなってきているように私は思うのです。

世界のありのままが見えなくとも、僕らは一つの世界を共有して生きていかざるを得ない。だから、対立も起こる。「世界観が物凄くバラバラなのに、一つの世界を共有することなんて出来るんだろうか?」「政治という難題に対して『魔法』にできることはあるんだろうか?」という疑問です。これは、昨今のポピュリズムや移民問題にも関わってくる疑問だと思っています。

 

■くらは
その疑問についても落合先生は誠実に答えてくれたよね。現実的だけど、技術を見る視線が優れているから「なるほど!」と思える構想がいくつか聞けた……このご時世に、現実的な構想が聞ける機会なんてなかなかないよね。

 

●市川
それだけ皆さん途方にくれているということでしょう。そんな中、これからの道を見据えて研究をしていらっしゃる落合先生から、色々なお話を聞けたのは本当に素晴らしい経験になりました。政治だけでなく、同じような感じで他にも様々なことについても聞けました。仕事や友情、愛、人間について、著書より一歩踏み込んだお話が伺えたと思います。

最後に、今回お時間を作って下さった落合陽一先生、本当にありがとうございました。良い記事になるよう頑張ります!

 

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 いただいたサインと共に

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<アレ★Club>代表の山下泰春「そんなワケで、落合陽一先生へのインタビュー記事が載っている『アレ』Vol.1は、11月23日(水・祝)に開催される第二十三回文学フリマ東京で頒布予定です!」

 

魔法の世紀

魔法の世紀

 

 

これからの世界をつくる仲間たちへ

これからの世界をつくる仲間たちへ

 

 

今日から始める文学入門~文学って何が面白いの?~

★対談者紹介★
●市川遊佐(@ichikawa_yusa
<アレ★Club>の副代表。あまり文学青年ではない。

▲山下泰春(@yasuharu_are
<アレ★Club>の代表。かなり文学青年。好きな作家はカフカ。

 

●市川
僕、文学作品をどうすれば楽しめるのかよく分からないんだよね。文学もいろいろ読んでみたけれど、「面白い!」と思える作品にはたまにしか出会えない。

あと、文学が好きな人からは「あれを読め」だの「これを読め」って言われるけれど、読んでいるうちに退屈になってしまうことが多いんだよ。じっくり読むと映画とか漫画に比べて展開が遅くて辛くなる。かといって素早く読むようにすると、今度は大事な情報を読み落として混乱しちゃって、結局前の方に戻って読み直さないといけなくなる。要するに、文学作品を読むって面倒くさいんだよ。

それに、話を理解するだけなら、名作は大体映画化されてたりするわけだし、それを見ればいいじゃん。漫画には漫画の、映画には映画の工夫もあるわけだから、文章にはない良さもあるだろうしね。だからいつも思うんだよ、「どうしても文章で読まなきゃダメ?」って。

山下君は文学作品読むの結構好きみたいだけど、この辺のことについてどう思う?

 

▲山下
比喩は漫画や映画で表現するのは難しいでしょう。たとえばですが、「リンゴのように赤いほっぺた」って、漫画とか映画で表現できますか?

 

●市川
厳しいだろうね。漫画の場合、文字に頼るしかなさそう。セリフとか吹き出しとかに「あのほっぺ、リンゴみたいだな」って文字で書くとかしないといけないから、実際にやると滑稽になる。映画の場合だとさらに難しそう。せいぜい同じシーンに雪見だいふくみたいな何かを置いて「ほっぺた」を連想させるくらいしかできないよね。

 

▲山下
ね、すごく苦しいでしょ?でも、文学なら簡単です。たとえばボードレールの詩集『悪の華』には、「そなたの眼差しはモヤに包まれているようだ」とか、「太陽の愛撫するかぐわしい南の国」って感じの表現があります。これでもかとイメージで世界をきらびやかに飾れるわけですね。

 

●市川
なるほど。「〜のような」や「〜みたいな」っていう、比喩を使ったイメージの自由なつながりが、文学作品ならではの楽しみってことだね。

でも、それだけだと詩を読む気は出るけど、小説を読む気はまだ起きないかなあ。だって、今パラパラと芥川龍之介の短篇集めくってみたけど、あんまり比喩って使われてないよ。何か他に、小説ならではの楽しみってないの?

 

▲山下
「綺麗な日本語」に触れられることだと思います。とてもいい例があるので、紹介しますね。

 

山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

 

これは夏目漱石の『草枕』の冒頭の一節ですが、読んでいて気持ちいいですよね。思わず口に出して読みたくなる。実際、NHK教育の『にほんごであそぼ』でも朗読されてますね。

続いて同じく『草枕』から、山に咲いた椿の花が落ちる様子を描いた一節を紹介します。

 

地の上へ落ちたのか、水の上へ落ちたのか、区別がつかぬくらい静かに浮く。また落ちる。あれが沈む事があるだろうかと思う。年々落ち尽す幾万輪の椿は、水につかって、色が溶け出して、腐って泥になって、ようやく底に沈むのかしらん。幾千年の後にはこの古池が、人の知らぬ間に、落ちた椿のために、埋もれて、元の平地に戻るかも知れぬ。また一つ大きいのが血を塗った、人魂のように落ちる。また落ちる。ぽたりぽたりと落ちる。際限なく落ちる。

 

ここで椿の花は、「腐って泥になって」や「血を塗った、人魂のように落ちる」といった言葉で、死体のイメージと結びつけられています。でも、その椿の花=死体のイメージは、山の景色と重ねられることで、「幾千年」という時間のほんの一瞬の小さな出来事として描かれています。

漱石って、こんなゾッとするような美しい文章を書くんです。『吾輩は猫である』とかのイメージを持っている人からすると、ちょっと意外かもしれません。

 

草枕 (新潮文庫)

草枕 (新潮文庫)

 

 

最後に、谷崎潤一郎の『吉野葛』を引用します。

 

円錐形の、尻の尖とがった大きな柿であるが、真っ赤に熟し切って半透明になった果実は、あたかもゴムの袋のごとく膨らんでぶくぶくしながら、日に透かすと琅玕の珠のように美しい。(……)外の柿だと、中味が水のように融とけてしまって、美濃柿のごとくねっとりとしたものにならない。これを食うには半熟の卵を食うようにへたを抜き取って、その穴から匙ですくう法もあるが、やはり手はよごれても、器に受けて、皮を剥いでたべる方が美味である。しかし眺めても美しく、たべてもおいしいのは、ちょうど十日目頃のわずかな期間で、それ以上日が立てばずくしもついに水になってしまうと云う。

 

これは主人公に、老人が「ずくし(=熟した柿)」を差し出すシーンなのですが、柿の描かれ方に美しさすら感じます。「真っ赤に熟した半透明な柿が、ゴムの袋のように膨らんでぶくぶくしている」という箇所からは、ゴムという言葉のおかげで、手に持った感触が伝わってくる。しかも、味の方も他の柿と違って水っぽくなく、「ねっとり」した味だと書いている。こっちからはどんな味かイメージできます。こうして、一個のとても美味しそうな柿のイメージが、私たちに伝わってくる。今すぐにでもこの美濃柿が食べたくなってきませんか?

 

吉野葛・蘆刈 (岩波文庫 緑 55-3)

吉野葛・蘆刈 (岩波文庫 緑 55-3)

 

 

●市川
なるほど。こうして実際に名文を読むと、美しいし、楽しいね。それは分かる。で、分かるからこそ、何で僕が今までそういう文章になかなか出会えてこなかったのかが不思議だなあ。

 

▲山下
個人的な意見ですが、学校の現代文って、あんまり良い文章を紹介できていないと思いますし。ちまたの文学賞とかも、あんまり良いチョイスをしてるとは思えない。それで、あまり文章を読む経験がないまま、長編とかに挑戦して疲れちゃったのかも。長編小説を読むのには結構体力がいりますし、だからこそ「慣れ」が必要です。

 

●市川
あー、確かに小学生の頃に夏目漱石の『坊ちゃん』とかミヒャエル・エンデの『モモ』とかの割と長めの小説を読まされてうんざりした記憶はある。両方とも小学生の時に読書感想文コンクール用に読まされた本なんだけど、あのチョイスは大人になって少しだけ面白い小説を知った今から考えても、最近の日本の子供向けじゃないよなと思う。

 

▲山下
せっかくの文学に触れる機会なのに、すごくもったいないですよね。

文学はそれ自体で楽しいものですが、文学が楽しめるようになると想像力も身について、もっと楽しくなるんですよ。漫画とか映画だと、舞台設定って最初から視覚的に分かるじゃないですか。宇宙ステーションとか架空の都市とかみたいな。でも、文学だと、それらを自分で想像する必要がある。これ、ハマるとクセになります。

あと、文学を楽しめるようになると表現の幅も広がります。これも、身につくと具体的に人に指示する時に細かい注文が出せたりして便利ですよ。

せっかく市川さんに「文学もいいかもな」と思ってもらえたので、是非この機会に文学にハマってもらいたいです。

 

●市川
名文を浴びるように読めたら文学にハマれると思う。でも、どういうところに綺麗な比喩とか名文とかってあるんだろう?手っ取り早く名文を楽しみたいゾ

 

▲山下
そういう人は、まずは短篇集を読むといいですよ。短編なら疲れる前に読み終われます。オススメの短篇集をいくつか紹介しますね。

 

カフカ短篇集 (岩波文庫)

カフカ短篇集 (岩波文庫)

 

 

カフカは『変身』が有名だけど、この中に収録されている「掟の門」や「流刑地にて」あたりは、『変身』よりも短くて印象的なのでオススメです。「掟の門」はとても寓話的な内容で、「掟の力ってこえぇー!」って思わせられます。あと、この内容が『審判』という別の小説に挿話として出てきてたりするので、面白かったらそっちも読んでみてほしいですね。

「流刑地にて」は、囚人と兵士の掛け合いが面白いです。カフカの小説に出てくる登場人物は、ヒマになると遊び始めることが多いんですが、この話もまさにこのパターンです。処刑されるはずの囚人が、兵士にハンカチをひったくられて取り返そうとじゃれあうシーンとか、不条理を突き抜けてもはや愉快です。学校だと小説をお行儀良く読まされることが多いと思いますが、小説を読む時には「登場人物はけっこうバカなことをやっている」と知ってリラックスして読むと、一気に読みやすくなると思いますよ。

 

勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪―ヘミングウェイ全短編〈2〉 (新潮文庫)

勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪―ヘミングウェイ全短編〈2〉 (新潮文庫)

 

 

次にヘミングウェイです。ヘミングウェイといえば『老人と海』もアリですが、短篇も良い。個人的にはやっぱり「キリマンジャロの雪」が好きですね。「ハードボイルド」と呼ばれる文体で、出来事がこれ以上ないくらい簡単に書かれています。「おれは自分で自分の才能をぶち壊したのだ」から始まるハリーの独白はとてもナイーブなのに、ジメジメしていない。むしろカラッとしている。「海の変化」も、短いですが好きです。無骨だけど、これぞ男の世界っていう感じがします。

 

トルストイ民話集 人はなんで生きるか 他四篇 (岩波文庫)

トルストイ民話集 人はなんで生きるか 他四篇 (岩波文庫)

 

 

最後にトルストイです。ものものしいタイトルですけど、トルストイの民話集も僕は好きです。ドストエフスキーにしろトルストイにしろ、「最終的にやっぱり愛が大事なんだ!」みたいなことを言ったりして、心が温まります。ロシアといえば重苦しい長編小説っていうイメージがあるかもしれませんが、これは短いし、トルストイの晩年の作なので、実験的で複雑な文章がなくて読みやすいです。まあその反面、「愛があるところに神あり」っていうタイトルが示すように、宗教チックでハマらない人はハマらないかもしれません。ただ、ハマるとどんどんロシア文学の魅力に取り憑かれていきます。

こうやって小説を読む経験を積み重ねていくと、中編や長編も苦労せずに読めるようになると思います。

 

●市川
なるほど、短編から読んでいく習慣をつけていけば、確かに文学が楽しめるようになりそうな気がしてきた。

 

▲山下
少しずつ長い小説が読めるようになると、メチャクチャ忍耐力がつきますよ!あと、読んだ後の達成感も半端ないです。

 

●市川
ん?なんか急に忍耐力とか達成感とかブラック企業みたいなことを言い出したぞ……文学青年って、ドMなのか?やっぱやめようかな……(笑)

 

▲山下
やめちゃダメ!絶対キモチイイから!
さあ読んで!早く!さあ!

 

●市川
末期だこの人!

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二人の話を横で聞いてた堀江くらは「最後に、他のブログの文学オススメまとめ記事を紹介しますね。参考にしてください!」

 

kuraharu.hatenablog.com

owlman.hateblo.jp

niseco.hatenablog.jp

 

山下「なんか自分のブログ貼っているヤツがいるんだけど……ステマ乙」

「スマブラの歴史=みんなでゲームをする歴史」を振り返る

★執筆者紹介★
■堀江くらは(@kuraharu
<アレ★Club>のWeb担当。本職はライター/編集者のゲーマー。

 

1999年に初代『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』が発売されてから、長い間親しまれているスマブラシリーズ。最新作『for』も多くのユーザーが楽しんでいる。新キャラの発表も一通り終わり、界隈も落ち着いてきた。ニンテンドーNXが発表され、新作の発表を待っているユーザも多いだろう。

スマブラは「みんなで遊ぶ」ことを重点に置いた対戦ゲームというコンセプトを、初代から今まで貫いている。個人的に「みんなでゲームをする」という遊び方は、スマブラの影響で大きく変化したと思っている。

そこで今回は、スマブラの歴史を振り返りながら、「ゲームで遊ぶことで生まれる繋がり」について考えてみたい。

 

初代スマブラ(NINTENDO64)

ニンテンドウオールスター! 大乱闘 スマッシュブラザーズ

初代スマブラは1999年発売、20代後半~30代前半の方々はプレイしたことのない人の方が少ないのではないだろうか。格ゲー全盛期、どんどんテクニカルになっていき、ハードゲーマー向けなコンテンツになっていく格ゲーのアンチテーゼとして制作された。

ライフ制ではなく場外に吹っ飛んだら負けというシステムや、ステージギミック、難しいコマンドを必要としない操作面など、随所に格ゲーへのアンチテーゼが見て取れる。

 かといって、コアなゲーマー向けのシステムが全くないわけではない。着地キャンセルというテクニックや、ヨッシーのブロッキング等、テクニカルな操作を要求される部分もあった。特に、ブロッキングのシステムは当時の格ゲーのシステム、『ヴァンパイア』のアドガや『ストリートファイターⅢ』のブロッキングなどのシステムに似ており、アンチテーゼでありながら格ゲーユーザーを意識している部分があったのではないだろうか。

 

なんにせよ、初代スマブラは始めは売り上げが伸びなかったが、口コミを通じて話題になり、人気作となった。ニンテンドー64のゲームはほとんどやったことがないという人でも「スマブラだけはやったことがある」という人は多いだろう。その理由は、64は持っていなくても友人宅に行けば皆で遊べるからで、「スマブラやろうぜ!!」の掛け声で友人宅に押しかけ、母親に3人分の菓子を要求する蛮族みたいなことをやる少年達を生み出した。「毎日ハロウィンかよ……」と愚痴をこぼした母親がいるとかいないとか。

まぁ、そんな話はどうでもいいとして、とにかくこのゲームが「友達の家に行って4人で一緒にゲームする」という64が提供した遊びの形を多くの子供たちに普及させたことは間違いない(注1)

 

このゲームは長く愛されるゲームになった。大学の部室には(Wii登場後にもかかわらず)64が置かれ、初代スマブラをプレイする大学生の姿があった。また、ガチゲーマー層にもシビアなシステムが受け、現在でも「ネトスマ」という形で愛されている。

 

このゲームの面白いところは、ガチ勢とライト層でゲームの評価が違うところだ。ライト層にとっては面白いパーティー系対戦ゲーム、ガチ勢にとっては核の炎に包まれながらバスケする某ゲームのようにシビアなゲームとして、それぞれ高い評価を受けている。

スマブラシリーズを通して、ガチ勢とライト層でゲームの捉え方が違うことは一貫しているが、それが顕著なのは初代なのではないだろうか。

余談だが、ガチ勢とライト層が対戦して、ライト層が最も吐血するスマブラも初代だ。ファルコンの上スマ当たったら即死とか聞いてねぇぞ!!!

 

(注1)
4人で遊ぶゲームの一番人気はスマブラだろうが、他にもマリオカート・マリオパーティ・ゴール出会いなどが人気だった。

 

スマブラDX(ゲームキューブ)

大乱闘スマッシュブラザーズDX

2001年に発売された『DX』。正直、僕の中では影が薄いゲームだ。それもそのはず、国内ではPS2が大人気で、ゲームキューブを持っている人が少なかったのが原因だろう。

それでも、『DX』は面白いゲームなことは間違いない。僕の友人が「キューブはスマブラと、人を殴る武器としての価値しかない」と言っていた。つまりはそういうことなのだ。

 

初代スマブラから進化したパーティー要素。対戦中に写真を撮れる、フィギュアの登場、対戦ルールを好き勝手に変更できる点は、多様な遊び方をしてほしいという思想が見て取れる。なにより、設定で英語切り替えができ(キャラクター名・ボイスも英語化する)、在日外国人でもプレイできるようになっている点には、任天堂の並々ならぬこだわりを見ることができる。

『DX』のキャラグラの顔がやたら濃いのは、若干海外市場を意識した結果なのかもしれないが、多分考えすぎだ。

ちなみに、ルール設定では64人でトーナメントとかいう馬鹿げたことも可能だった。お前64人も友達来たら、母親がキレるぞ! 64人とか2クラス分じゃねぇか。ハロウィンどころか文化祭だよ、これ。

 

パーティー・エンタメ要素も充実していたが、『DX』が最も評価されているのは対戦面。コアユーザーに最も評価されているスマブラだといっても過言ではない。

「絶」というシステムから生み出されるスピーディでシビアな戦況は、コアユーザーの好むもので、『X』登場後も、国際的な大会は『DX』で行われるなんてこともあったほどだ。

ハードゲーマーには愛されたが、一方で「高度なシステムが一般ユーザーとの間に壁を作ってしまったのでは?」 という疑問の声を耳にすることもある。

 

国際的なゲームの大会であるEVOの種目にも選ばれた。この当時に「e-sports」という言葉はまだないが、ゲームで賞金がもらえる世界大会があるということを、このゲームの動画か背水の逆転劇で知った方も多いのではないだろうか。

 

ちなみに、このゲームを意識したのかどうか知らないが、『DX』の発売から2年後に、人気格ゲーシリーズ『ギルティギア』から『GUILTY GEAR ISUKA』が登場する。4人同時対戦ができる格闘ゲームなのだが、コンボは邪魔されるし、振り向き操作なるものが必要などの理由で大ゴケ。後に面白い糞ゲーとして評価されたが、糞ゲーは糞ゲーだ。

とにかく、アンチ格ゲーから始まったスマブラは、格ゲー界からも注目されていたのだろう。

 

 

スマブラX

大乱闘スマッシュブラザーズX

家族でまったり遊べるハードとして登場したWiiの中でも、やっぱり人気だったスマブラシリーズ。2008年に発売された『X』は、『DX』の高度なシステムを反省したのか、シンプルかつ誰でも遊べるゲームになっており、パーティーゲームへの回帰が見て取れる。

 

まず対戦面では前作でもっとも高度なシステム「絶」はあるが無力化し、着地キャンセルをなくした。また、対戦中にキャラが走るとたまに「コケる」というランダム性を入れることで、よりパーティーゲームとして調整された。

対戦面以外でも、ストーリーモードやコンプ要素などが充実している。

『DX』はプレイしていないが初代はプレイしていた人も戻ってきて(これは世代的なもので、初代をプレイしていた人が大学生になり時間が生まれた。同様の現象がポケモンの『HG/SS』でも起こっている)初代スマブラの197万本よりも多い242万本の売り上げを達成した(注2)。一方で、ライトユーザー向けの調整はコアユーザーには受けず、ガチ勢は初代か『DX』をやり続けるという結果も生み出した(コアユーザーは突然コケる自キャラを見て、ドリフのように自分がずっこけるなんてできないのだ。彼らは勢いよくコントローラーを投げる)。

 

また、本作ではシリーズ初となるオンライン対戦が搭載された……のだが、そこには多くの問題があった。

ガチ勢とライト層を分けなかったがために、両者のミスマッチが起こってしまう。お気軽リンチ・馴れ合いと呼ばれる現象が起きてしまうなど、対戦できる環境ではなかった。世紀末ゲーと呼ばれるゲームが多い中、本当の意味でルール無用の世紀末を実現したのがお気軽リンチだ。世紀末にもルールが必要だと多くのユーザーが思い知った。

 

以上のように、パーティーゲーとしての出来はいいが、ガチ対戦としては微妙という、スマブラの「アンチテーゼ」が最も色濃く出た作品が『X』なのかもしれない。

 

(注2)
「それでも、友達の家に遊びに行った初代スマブラの方が、プレイした人数が多いのではないか? 」というのが、僕の見解だ。

 

for Wii U/for 3DS

大乱闘スマッシュブラザーズ for Wii U大乱闘 スマッシュ ブラザーズ for ニンテンドー 3DS

 

 

2014年、Wii Uとニンテンドー3DSで発売されたいわゆる『for』は、3DS版が253万本、Wii U版が73万本と売り上げ的に成功を収めた。据え置きハードが下火の時代に、小型ゲーム機で出したのことが成功の理由だろう。

さて、本作では前作にあった問題を上手いこと解消している。

前作のストーリーモードはYouTubeなどにアップされるのを嫌って撤廃。それでもキャラカスタムなどのパーティー要素は充実している。

ゲームスピードは遅いがコケなくなり、理不尽な点を解消。また、崖つかまりが一人しかできないという仕様をなくしたことで、ライトユーザーの感じる理不尽さをなくし、コアな層には読みあい・駆け引きの要素を増やすという仕様変更が行われた。

もっとも変化したのはオンライン対戦で、ガチ部屋とエンジョイ部屋を分けることにより、対戦できる環境を整備した。また、ガチ部屋では全てのステージが「終点化(ステージギミックがなくなる)」することで、全てのステージのグラフィックを、全てのユーザーが楽しめるようになった。

 

余談だが、前作『X』でパーティーゲーの中にもガチ勢がいる、しっかり対戦環境を整える必要がある、ということに気づいた任天堂は、『スプラトゥーン』などにもこの反省を活かしたのではないだろうか。

 

本題に戻ろう。ゲームの地位が向上し、e-sportsやプロゲーマーといった言葉も認知されてきた昨今、スマブラでも対戦動画や実況プレイが増加した。また、リアルの場でも大会が増え、中には実況や解説を付けて動画化したものもある。この流れで、ガチ勢は大会に出て、ライト層は動画を見るという一種の住み分けみたいなものが行われた。ライト層の中にはゲームをプレイしない所謂「動画勢」も含まれるが、広い意味で「皆がゲームを楽しめるようになった」ことは間違いないだろう。

 

一方、「スマブラの初期コンセプトはアンチ格ゲーだったが、それが揺らいでいるのでは? 」という声がある。公式での大会開催や、コマンド入力によって強い技が出せるリュウの登場がその理由だ。

これらの点は確かに「アンチ格ゲー」から逸れるものかもしれないが、個人的には「ゲームの楽しみ方の幅が広がるからいいのでは? 」と思っている。それに大会動画などはユーザーを増やすし、格ゲーユーザーがこれから『for』を始めるなら、思い入れのあるキャラがいない限り、リュウを使うだろう。そういう参入のきっかけ・参入コストを下げているというところを評価したい。

 

また、格ゲーのDLでのキャラ販売・アップデートでのバランス調整という要素を取り入れたことにも注目したい。

キャラのDL販売は賛否両論あるが、他のゲームのキャラクターを出す(交渉に時間がかかるから発売日に出せるとは限らない)、ユーザーの意見を取り入れてキャラを作る(ベヨネッタなど)ことができるという良い面がある。

キャラの調整を定期的に入れることで強すぎるキャラを減らし、長く楽しむことができるようになった。「格ゲーのアンチテーゼ」と言いながら、格ゲーの良い部分を吸収しているのは流石だと思う。

 

以上のように、『for』は、本当の意味で「誰でも楽しめるゲーム」を目指し、過去作の反省点を上手く生かした集大成的な作品といえるだろう。

また、すれちがい機能、miiの投入など、より「繋がり」を意識した作品でもある。この点に関しては、次の総評で詳しく語ろう。

 

総評

「皆でわいわい対戦する」を提供し続けたスマブラの意義は大きい。初代の時点で、4人同時にプレイするという64の提供した新しいゲームの遊び方を広げ、『for』では4人の枠を超えた8人対戦・場所を超えたネット対戦どころか、実況動画、大会などの多くの人を巻き込んだ遊び方を提供している。

思えば、スマブラシリーズは初代から雑誌やネットで情報を出し、ユーザーと繋がろうとしてきた。初代スマブラの「スマブラ拳!」などが顕著だろう。友達同士で遊ぶことを重視し、開発側とプレイヤーも繋がろうとしている点から「ゲームは一人で遊ぶものではない」という任天堂の思想を感じることができる。

 

一方で、スマブラシリーズはガチ勢とライト層の間にある壁を明確に表している。

先にあげた国際的なゲーム大会であるEVO2016では、『for』と『DX』が両方競技対象になっていた。なぜ『DX』が未だに人気なのだろうか?

やはり、コアな対戦ゲーム好きが求めるのはスピード感なのだ。『DX』はシリーズで最もスピード感があるゲームだし、誰でも遊べる『for』にはスピード感はない。だが、スピード感があるゲームは操作性が難しく、ライト層ではとっつき辛い。これが格闘ゲームを廃れさせた、ハードゲーマーとライトゲーマーの間にある壁の正体なのではないだろうか。

この壁を取り払うために、ゲーム業界も必死だ。最近の格闘ゲームでは、ボタン1つで必殺技が出て、連打するとコンボが出せるように設定できる(『ギルティギア』シリーズ最新作、『GGXrd』など)。スピード感があるゲームは、操作面さえ解決すれば爽快感溢れる良ゲーになる。ゲーム業界には今後も頑張っていただきたい。

 

いずれにせよ、スマブラシリーズは「ゲームは一人で遊ぶものではない」というコンセプトを重視してきたゲームだ。それはスマブラが、ゲームが人と人を繋げるコンテンツになるということを、明確に示してくれたソフトだということでもある。実際、多くのゲーマーがスマブラを通して「繋がった」ことは上に書いた通りだ。そして、その繋がりの範囲はネットを通じて今もどんどん拡がっている。

 

ポケモン最新作のPVを見る限り、任天堂はもっとゲームで人を繋げたい、と考えているようだ。僕もそれには大賛成だし、任天堂を応援したい。ゲームは人を繋げ、繋がりがコミュニティを産み、ゲームの外でもそのコミュニティが活きてくると僕は信じている。

人気タイトルということもあり、次世代機でもスマブラの新作が出るのはほぼ間違いないだろう。次のスマブラがどうなるか、今から楽しみだ。

 

僕たちのゲーム史 (星海社新書)

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ロックに「~するべき」ことはない~音楽と政治について考える~

★対談者紹介★
■堀江くらは(@kuraharu
<アレ★Club>所属のライター/編集者。Blur派。本当に好きなのはグランジとハードロック

◆永井光暁
<アレ★Club>の事務局長。Oasis派。実はサンホラ―。

 

■くらは
先日「#音楽に政治を持ち込むなよ」っていうタグがツイッターで話題になってたけど、アジカンのゴッチさんや、津田大介氏、他にもたくさんの著名人が言及してて盛り上がってましたね。

 

◆永井
自分のTwitterのTLにもそのタグの話題が流れてきたんで一通り追ったんですけど、なんつーか、カオスでしたね。「純粋に音楽を楽しみたいから政治を持ち込まないでほしい」と言う人、ロックやフォークを例に「音楽から政治性は切り離せない!」と言う人、奥田愛基さんや津田大介さんに嫌悪感を示すって意味で同調している人、ネタになりそうな曲を貼りまくる人……色々な人がいましたけど、どうやらハッシュタグの作者は、「過去の政治的な音楽を楽しもう」という意図でこのタグを作ったみたいですね。

 

togetter.com

 

■くらは
僕もTLを少し追ってみました。Rage Against the Machineとか、忌野清志郎の名前が出ててちょっと嬉しかった(笑)

話がそれました。「政治を持ち込まないでほしい」と言う人の中には、「ロックが反体制的なものから生まれたのは知っているけど、政治は持ち込まないで欲しい」や「音楽のフェスなんだから、政治的なことも音楽でやってほしい」という方もいましたね。その一方で、「フェスはお祭りだし、音楽以外のパフォーマンスがあってもいい」と言う人もいたので、これは価値観の問題な気がします。なんか、OasisかBlurか、ライブ中に歌うのはアリかナシかレベルのバトルになりそう……。

 

◆永井
「政治的なことも音楽でやって欲しい」って意見については、今回話題になったザ・アトミックカフェもそうですが、古くはウッドストックがあり、日本だと最近では飲酒運転撲滅運動のSDDとかもあるので、昔から音楽のフェスで政治的なことってやられてたんですよね。実際、そういうイベントではアーティストではない活動家や知識人がステージに上がって色々と主張したり、アーティストも自分の政治観について語ったりしているので、「フェス=音楽だけやってる」ってワケでは決してないです。

 

acf.main.jp

fmosaka.net

 

そんなワケで、今回の件については、なんで今更騒ぎ出したのか不思議なんですが、やはり奥田さんや津田さんの名前がデカかったんでしょうね。で、普段から彼らを嫌いな人たちがそれに乗じて「政治団体がフェスに来るんじゃねーよ!」って騒いでる、と。

 

■くらは
確かに、アンチ的な立場の人がこの話題を大きくした感は否めませんね。ただ、政治と音楽が密接に関わっているということが、どこまで理解されているかについては疑問が残ります。そこまで音楽に詳しくない人にとっては、音楽と政治が密接に関わっているなんて話はどうでもいいんじゃないですかね。音楽と政治についての認識の違いも、このタグが盛り上がった原因ではないでしょうか?

実際、Twitterでも「政治とロックを結び付けないで!」って意見はかなりありました。それも政治的なことを普段つぶやいていない人がです。

 

◆永井
思うんですが、音楽と政治が結びつくことに対してヒステリックに反応する人が多いのは、日本の音楽シーンの現状と関係しているんじゃないですかね。今のこの国の音楽は、ランキングを見れば明らかですが、ラブソングが売れて、他はほとんど売れていないのが現状です。そのため、自然とそういう社会的メッセージ性の薄い楽曲に触れる機会が多くなり、「音楽=手軽な娯楽」という風に価値観が固定されるんでしょう。そしてその結果、良くも悪くも無毒化されたものしか知らないから、今回のようなことが起こると、まるで大事件かのようにアレルギー的に反応する人が出てくる……とまぁ、今回の件の背景は、大体こんな感じじゃないかと。

 

■くらは
海外でもラブソングは人気ですが、一方で今でも政治色の強いものが普通に受け入れられています。むしろ、そういうものの方が多いジャンルもありますし(笑) まぁ、どっちの音楽シーンが優れているとかいうつもりはありませんけど。とにかく、日本の音楽に詳しくない人にとって音楽と政治が結び付いていないというのは、あながち間違ってはなさそうですね。

それを踏まえると、「音楽から政治性は切り離せない!」という批判も、一体どこまで正しいのか分からないですよね。ロックは反体制的だというのは確かに正しいですが、現代ではそうなっていないわけですから。むしろ、今のロックはオタク的なものになってて、少数派が戦う場所というより、少数派が逃げ込む場所になっているイメージです。

 

◆永井
昔は武器だったモノが、今では防空壕になっているってのは、何だか悲しい話ですね。でも実際問題、何かのジャンルに特化するというのがオタク視されるってのはあるかもしれませんね。この国で売れる曲がほとんどJ-POPになってしまったのも、ロックなどのジャンルに特化した音楽がマニアックになるに連れて一般ウケしにくくなって、他方で日本発のJ-POPがいろんなジャンルの音楽の曲調や世界観を包摂していったから、今この国にある音楽のほとんどがJ-POPになってしまったってのが実情ですし。

少し話題を変えますが、こういう音楽と政治の話をする時、出てくる音楽って大抵左向きなんですよね。当世風に言えばリベラルと言いますか。ロックにしろメタルにしろフォークにしろ、その背景には「反体制」がその源流にあるってのは分かるんですが、あぁいうジャンルの音楽って、逆に体制的なモノはないんですかね?

 

■くらは
アンダーグラウンドまで見れば体制的・右寄りなバンドは結構あると思います。ただ、有名なバンドになると知らないので、この辺りは読者の方に教えてほしいですね。

体制的、というのは少し違いますが、体制が育てたジャンルならあります。具体的には北欧メタルですね。スウェーデンなんかでは、国がお金のないバンドマンにリハーサルの場所などを提供するなど資金的な援助をしています。音楽を国の大事な商品として扱っているんですね。「人から金貰ってバンドするなんてダセぇ!」みたいに思う方もいるかもしれませんが、金のないバンドマンを援助する彼女を生み出さないというだけで素晴らしいシステムだと思いますよ(笑)

冗談はさておき、実際に国の援助を受けてデビューした、今世界的な人気を獲得しているバンドもたくさんありますからね。

 

◆永井
なるほど、体制の方から音楽に寄り添っているんですね。それはそれで音楽を大事にしている感があってイイですね。

ところで、今思ったんですけど、今流行りのいわゆる「仲間最高!親と恋人(嫁)にマジ感謝!」系の楽曲って、ある意味でメチャクチャ保守的だと思いませんか?まぁ、マイルドヤンキーが保守かどうかは分かりませんが、何処を見てもラブソングだらけの昨今、実はJ-POPそのものが保守化しているのかもしれませんね。

あと、もしかすると、これから先、物凄く偏ってるアイドルグループとかロックバンドとかが出てくるかもしれませんね。「AIK(愛国)47」とか「Thee One Hundred Million Total Success(一億総活躍)」みたいな(笑)

 

■くらは
また危ない冗談を(笑)炎上するのでやめましょう!

でも、繰り返すようですが、海外で売れているアーティストの中には、かなり過激なことを歌っている人も大勢います。もちろん、海外のリスナーにもそういったアーティストを政治的・音楽的に嫌っている人もいますし、歌詞なんてどうでもいいって人もいます。

ただ、そういうエネルギーの発散方法が、アーティスト・リスナー双方で認められているというのは、音楽の可能性を広げていると思いますね。

そう考えると、「#音楽に政治を持ち込むなよ」で叫ばれていた、「政治的な話を持ち込むな!」という、べき論が「政治的な音楽は嫌い」という好き嫌いの問題になれば、音楽の表現の幅が広がって、音楽業界の活性化にも繋がるんじゃないでしょうか。

 

◆永井
ぶっちゃけ、「べき論」の範囲で喧々諤々やっても、決着は絶対につきませんし、正直不毛ですしね。そういう部分に拘泥するよりかは、創造的・生産的でありたいものです。

 

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代表「話題に入れなくて寂しくて寂しくて震える」

 

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 くらはの趣味。最高に政治色の強い、最高にかっこいいバンド。

地下鉄のミュージシャン ニューヨークにおける音楽と政治

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デブ戦~ぽっちゃり好きが叩かれる世の中に戦いを挑む~

★対談者紹介★
▲山下泰春(@yasuharu_are
<アレ★Club>の代表。BMIは21。ぽっちゃり女子が好き。

◎halyuki
ぽっちゃりになりきれない女。『アレ』Vol.1に小説を寄稿予定。

 

▲山下
ぶっちゃけた話、私ぽっちゃりした女性が好きなんですけど、日本って、「ぽっちゃり好き」とか「デブ専です」とか言ったら叩かれる風潮ってありませんか?特に、男性のデブ専って、女性のデブ専よりも風当たりが強い気がします。なんでこんな話をしてるかというと、実は昔合コンでそういうことを言ってしまって、男女問わず他の参加者にドン引きされたことがありまして……。

 

◎halyuki
そんなことがあったんですね(笑)女性同士だとあんまりそういうことはないんですが、合コンだとなんとなくカミングアウトしづらい感はありますよね。とりあえず、お気の毒サマでした。
でも、それって日本だけの問題じゃないでしょ。たとえば「Pottya」っていう5人組ぽっちゃりアイドルグループ(総体重380kg)ってのがあるんだけど、彼女たちのPVに、海外から怒りのコメントが寄せられたことがあります。要約すると「アメリカの文化は素晴らしいがデブだけはマネすんな!」みたいな感じの。当たり前かもしれませんが、大抵の人は「太っている=不健康」と思っているみたいです。そういう考え方が、デブ専の人が引かれる理由なんじゃないですかね。

 

www.youtube.com

 

▲山下
今コメント欄見ましたけど、マジですね。なんというか、「太っている=不健康」って、理解としては短絡過ぎやしませんかね。力士やオペラ歌手は総じて不健康なのかと。
そういえば、カンギレムって哲学者が「健康は規範的な概念である」と言ってましたね。Pottyaを批判している人たちは、きっとそういう価値観から、規範的にPottyaを批判しているんでしょうね。

 

◎halyuki
『健康帝国ナチス』ってナチス政権下での健康増進政策について書いた本がありましたけど、「健康」って心身の状態と、「規範」って倫理的なナニカが組み合わさると、一気にファシズム臭が漂ってきますね。禁煙・嫌煙問題しかり。

 

健康帝国ナチス (草思社文庫)

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それはともかくとして、そもそも不健康だと歌ったり踊ったりできないでしょ。Pottyaも健康には気をつかっていて、体重60kg以上である必要はあるけど、実際の体重は公表されている体重±2kgじゃないとダメって制限の中で活動しているそうですよ。少なくとも、胃下垂で胃腸虚弱で運動不足で毎日グータラして体重管理なんか投げてる私なんかよりはずっと健康的ですね。

 

▲山下
halyukiさんが健康かどうかは置いといて、「痩せている=健康」だって考える人もいれば、「太っている=健康」だと考える人もいますよね。たとえば『たかまれ!タカマル』というマンガでは、超ぽっちゃりしているメインヒロインが肯定的に描かれています。ただ、アレももしかすると「痩せている=健康」に対する逆張りとして、「規範的に」ぽっちゃりを肯定しているのかもしれませんが。

 

たかまれ! タカマル 1 (ビームコミックス)

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◎halyuki
あの作品の作中人物は誰もゆきえさん(メインヒロイン)の体型を気にしていない感じだけど、彼女を魅力的な存在として描いているってのは、そうなのかなぁ。単に作者が趣味嗜好の一つとして、ぽっちゃり女子を可愛らしく描いている可能性もあるでしょ。『たかまれ!タカマル』に関しては、別に「健康/不健康」の枠組みで考える必要はないと思いますよ。

 

▲山下
ここまでの話で思ったのですが、体型に関する問題って、趣味嗜好の領域に「健康/不健康」の規範を持ち込んでくる人がいるから生じているんじゃないですかね。実際問題、太っているキャラが登場する作品は、そのキャラが太っているという事実を自虐的なネタにする傾向が多いと思います。なので、『たかまれ!タカマル』のように、太っていること自体が肯定されており、ネタにもされない作品というのは珍しいかもしれません。

 

◎halyuki
なるほど。となると、逆説的に「痩せていることは無条件で肯定されている」ってのが、この話のミソなのかもしれませんね。要するに、痩せている人に「スリムだね」とか「引き締まってるね」って言ってもセクハラにはならないのに、太っている人に「柔らかそうだね」と言うとセクハラ認定される可能性が出る、と。
で、これにさっきの規範云々を絡めると、世間一般では痩せていることが強く肯定的に捉えられているので、太っている人が好きな人にとっては、好みを言いづらい環境になっている、ということが言えませんかね。

 

▲山下
一理あると思います。個人の趣味嗜好が規範概念に取り込まれた結果、不健康だと思われる趣味嗜好の持ち主も批判される、ということですかね。

 

◎halyuki
そう、だからデブ専向けエロゲの『デブトピア』や、ぽっちゃり女子向けファッション誌の『ラ・ファーファ』が世に出た時に、不快感を示す人と待ち望んでいたと喜びの声を上げる人にハッキリ二分したんですよ。
で、そういうのに不快感を示す人は、大抵「太っていることを肯定的に捉えるなんてとんでもない!」といった趣旨のことを言いますよね。ヒドい場合だと、「きっとお前がデブだからデブを肯定するんだ!」とか、画面の向こう側の人間に対して個人の体型まで妄想……もとい、透視しちゃう人もいたり。

 

▲山下
痩せ気味でぽっちゃり好きな私からすると、「寝言は寝て言え」って感じです(笑)
でも、太っている人が太っている人叩きに加担するのって、いわゆる「マイノリティがマイノリティを差別する」構造と同じですね。調べた限りでは、自身が太っていることをコンプレックスに思っている人が、こうした構造に加担することがあるみたいですよ。

 

blogos.com

 

◎halyuki
ありますね。直近だとLGBTの中での差別、古くからなら身障者達同士での差別、カジュアルなところだと「意識高い人」を殴る「意識高い人」とかも同じ構造な気がします。あと、太っている人を好むコミュニティの中でも、好まれやすい容姿と好まれにくい容姿があったりしますね。

 

▲山下
でも不思議なことに、それって美醜の問題とは違うんですよね。なんていうか、太っている人の中でも好まれやすいステレオタイプみたいなのがあるというか。

 

◎halyuki
二次元を例にすると、リアリティのある肉感の描き方とか、「ここがエロいんだよ!」と思わせるチョットした肉の魅せ方とかですかね。あとは、「一段腹よりも三段腹が好き!」とか。いわゆる「ぽっちゃりモノ」でもエセぽっちゃりとして忌避されるものがあったりもするので、ぽっちゃりを好むコミュニティの中でも、流行やホンモノ認定される要素があるんでしょうね。

 

▲山下
とはいえ、こういう話をすると、悲しいかな「デブ専」って妙なレッテルを貼られるのが、この国の現状です。別にいいじゃないですか、肉付きの多寡くらい好きに言わさせてくださいよ

 

◎halyuki
極端な話ですが、今太っている人を「このデブ!」ってdisってる痩せてる人は、結局は今ある規範にタダ乗りしているに過ぎないんですよね。そういう人って、もし「太っている=健康」って思われるようになって、今度は太っている人から「このガリ!」とか言われるようになったら、一体どうするんでしょうね。健康になるために太るのかしら

 

▲山下
医学的な話とかもあるでしょうけど、どれだけ体脂肪率低くても見た目太っている人とかも沢山いますから、見た目で健康/不健康について論じるのはナンセンスですね。とすると美醜の問題な気もしますが、美しさの価値基準なんて、時代や文化でいくらでも変わりますから、痩せていようが太っていようが、無理せず今の自分の体型のままで美しくあるようにするのが、一番良いんじゃないですかね。

 

◎halyuki
どんな体型であっても、自分の体型をポジティブに捉えてる人は可愛いし、応援したくなりますしね。でも、私はせめて胃下垂を治したいです。

 

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